伝記
カール・フェルディナンド・コリは、1896年12月5日に当時のオーストリア・ハンガリー帝国のプラハ、現在のチェコで生まれ、1984年10月20日に没した生化学者で薬理学者である。のちにアメリカ合衆国で活躍した。エネルギーの貯蔵と消費に関わるグリコーゲンの分解と再合成の仕組みを解明したことで、妻のゲルティー・コリ、アルゼンチンの生理学者ベルナルド・ウッセイとともに、1947年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。炭水化物の代謝を明らかにした夫妻の研究は、2004年にアメリカ化学会によって、科学における歴史的ランドマークに選ばれた。
父カール・イジドール・コリは動物学者で、内科医とする資料もあり、母はマルタ(マリア)・リッピヒである。一家はローマ教皇領の出身で、ボヘミアの王領に移り住んだという。祖父のエドゥアルトは行政官で養蜂家だった。妹マルガレーテは、プラハで講師を務めた。父が海洋生物研究所の所長として働いていたトリエステで育ち、1914年の終わりに、一家はプラハへ移住した。カールはプラハのカレル大学の医学部に入学し、そこで、のちの妻ゲルティーと出会った。オーストリア・ハンガリー帝国軍に徴兵されて、最初はスキー部隊に、のちに衛生部隊に属し、衛生部隊のためにトリエステに研究室を設けた。戦争が終わると研究に戻り、1920年にゲルティーとともに卒業した。二人はその年に結婚し、ウィーンの病院で一緒に働いた。
その後、カールはグラーツに招かれ、オットー・レーヴィとともに心臓に対する迷走神経の作用を研究した。この研究により、レーヴィは1936年のノーベル生理学・医学賞を受けている。カールがグラーツにいる間、ゲルティーはウィーンに残っていた。1年後、ニューヨーク州バッファローの癌研究所に職を得て、夫妻は共に移住した。この研究所で夫妻は炭水化物の代謝を研究し、1929年にコリ回路と呼ばれる代謝の経路を定式化した。1928年に夫妻はアメリカに帰化した。
1931年にミズーリ州セントルイスのワシントン大学医学部に移り、薬理学の教授となって、1942年には生化学の教授に就いた。セントルイスでは、グリコーゲンとブドウ糖の研究を続け、グリコーゲンの分解反応を記述し始め、重要な酵素であるグリコーゲンホスホリラーゼを同定して合成した。これらの発見により、夫妻は1947年にノーベル賞を受け、夫婦としては史上3組目の受賞者となった。1946年には第1回アルバート・ラスカー基礎医学研究賞も受け、1948年にウィラード・ギブズ賞、1955年にバンティング・メダルを受けた。
1957年にゲルティーが亡くなり、1960年にアン・フィッツ・ジェラルド・ジョーンズと再婚した。1966年までワシントン大学に在籍し、生化学部門の長として退職した。その後は、マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学の客員教授となり、病院内に研究室を保って、遺伝学の研究を行った。1968年から1983年まで、ニューヨークの遺伝学者サロメ・グリュクゾーン=ヴァルシュと共同研究を続けたが、1980年代に病気のため続けられなくなった。1976年にはトリエステ大学から名誉学位を受けた。セントルイスの顕彰の通りには、ゲルティーとともに星が刻まれている。2016年には、息子のトマスが両親のノーベル賞のメダルをワシントン大学医学部に寄贈し、図書館に展示されている。
同じ年に亡くなった人物
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