HISTORICAL PERSON · 1985年没

アン・バクスター

建築家フランク・ロイド・ライトの孫にあたる米国の女優。13歳頃にブロードウェイでデビューし、1940年に17歳で映画にも進出した。

生涯
1985年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(ミシガンシティ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

アン・バクスターは、1923年5月7日にアメリカ合衆国インディアナ州ミシガンシティで生まれた女優である。母キャサリン・ドロシー・ライトは、建築家のフランク・ロイド・ライトの娘で、バクスターはその孫にあたる。父ケネス・スチュアート・バクスターは、酒造会社シーグラム社の重役であった。5歳のときに学校の劇に出演し、6歳で家族とともにニューヨークに移り、ウェストチェスター郡で育った。10歳のとき、ヘレン・ヘイズの主演するブロードウェイの舞台を見て感銘を受け、家族に女優になると宣言した。ロシア出身の女優で教師のマリア・アウスペンスカヤに師事して演技を学び、13歳のころには、ブロードウェイの舞台でデビューした。1939年には、舞台『フィラデルフィア物語』でキャサリン・ヘプバーンの妹の役に選ばれたが、ヘプバーンが彼女の演技の型を気に入らず、ブロードウェイでの開幕前の公演中に交代させられた。そこで彼女はあきらめず、ハリウッドに目を向けた。

16歳のとき、映画『レベッカ』の主役のスクリーンテストを受けた。監督のアルフレッド・ヒッチコックには若すぎると判断されたものの、このテストがきっかけで複数の撮影所から誘いを受け、給料の高い20世紀フォックスと契約した。1940年に17歳で、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーに貸し出されて出演した『20ミュール・チーム』で映画デビューした。これは『レベッカ』のテストの結果、代わりに割り当てられた役でもあった。1941年の『スワンプ・ウォーター』で主演格を務め、貸し出された1942年のオーソン・ウェルズ監督『偉大なるアンバーソン家の人々』でも高い評価を受けた。第二次世界大戦中は、戦争を題材にしたドラマの人気女優となり、のちに結婚するジョン・ホディアクと共演した。

1946年の『剃刀の刃』では、アルコール中毒症の娘を演じて、アカデミー助演女優賞とゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞した。この作品が、彼女の唯一の偉大な演技だったと自ら語ったことがあり、病院の場面では、3歳で死んだ弟の死を思い出しながら演じたという。1950年の『イヴの総て』では、大女優マーゴ・チャニングを踏み台にしてのし上がる新人女優、イヴ・ハリントンを演じ、名実ともに代表作となった。この作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされたが、受賞は逃した。同じ作品のベティ・デイヴィスも、同じ賞の候補になっている。その後も、ヒッチコックやフリッツ・ラング、セシル・B・デミルら名匠の作品に出演し、デミルの超大作『十戒』では、エジプトの王女ネフレテリを演じた。

1960年代以降は舞台やテレビへの出演が多くなった。1971年には、『イヴの総て』の舞台版『アプローズ』で、ローレン・バコールの後を受けてマーゴ役を演じた。私生活では3度結婚した。2度目の結婚の際には、オーストラリアの牧場主の夫に付き添って、1961年から数年間、オーストラリアの牧場を生活の拠点にした。1973年には『刑事コロンボ』シリーズの『偶像のレクイエム』で、今はテレビにしか出ないかつての大女優という、実生活さながらの犯人の役を演じた。衣装デザイナーのイーディス・ヘッドと親しく、ヘッドが亡くなったとき、バクスターの娘が宝石のコレクションを譲り受けたという。1976年には自伝を発表して、批評家から絶賛された。1985年12月12日、脳動脈瘤のため死去した。

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