伝記
ビーロー・ラースローは、1899年9月29日にオーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれた発明家で、ボールペンの発明で知られる。ユダヤ系の家庭に生まれ、出生時の姓はシュヴァイガーといい、父モーゼス・マーチャーシュは歯科技工士、母ヤンカ・ウルマンはカポシュヴァール出身であった。姓がビーローに改められたのは、1905年にハンガリーの内務省に登録されている。子供のころから部屋にこもって、いろいろな物を作り、モーターのない洗濯機や変速機の仕組みなどを考案した。医学の勉強を1学期続けたこともあり、催眠術や筆跡学にも興味を持つなど、さまざまなことに手を出した。
ハンガリーでジャーナリストとして働いていたとき、新聞の印刷に使うインクが素早く乾き、紙がにじまないことに気づいた。そこで同じインクを万年筆に使ってみたが、粘り気が強すぎて、ペン先まで届かなかった。そこで、化学者だった弟のジェルジと共同で研究を進め、ソケットの中で自由に回転するボールを仕込んだペン先を生み出した。カートリッジのインクがボールに付き、ボールが回ることでインクが紙に写る仕組みである。道の水たまりで、ビー玉遊びをする子供たちが、ビー玉の後ろに細い水の筋を引くのを見たことが、発想のきっかけだったともいわれる。ボールペンに似た筆記具は、約50年前にアメリカ人が革などを書くために発明していたが、商業的には成功せず、ビーローはそれらを知らずに新しい装置を考えたとされる。1931年にブダペスト国際見本市で、初めてボールペンの実物を公開した。ナチスと、ハンガリーのユダヤ人を制限する法を逃れて、1938年にパリでこの発明の特許を取得した。
その後アルゼンチンに移った。ユーゴスラビアで休暇を過ごしたときにビーローと出会い、新しい筆記具に興味を持ったアルゼンチンの大統領の招きによるものとされる。友人で協力者のハンジ・マイネとともに渡り、弟も1943年に合流した。同じ年の6月10日に兄弟は新たな特許を申請し、会社を設立した。ボールペンは、兄弟の姓と協力者の姓を合わせた「ビロメ」の名で売り出された。今でもアルゼンチンでは、ボールペンを「ビロメ」と呼んでいる。これに目を付けたあるイギリス人が使用権を取得し、イギリス空軍向けのボールペン生産に乗り出した。高度の高い場所では、万年筆よりもボールペンのほうが書きやすかったためである。
1950年(または1949年)に、フランスのマルセル・ビックがビーローからボールペンの特許を買い取り、これがすぐにビック社の主要商品となった。ビック社は、インクの配合やボールと管の合わせ目を改良し、その製品は世界中で最も売れた筆記具の一つになったとされる。やがて、イギリスやアイルランド、オーストラリア、ニュージーランドといった英語圏では、ボールペンを「ビロー」と呼ぶようになった。これはもとは商標であったが、一般的な名称となった例である。ビーローは1985年にブエノスアイレスで死去した。アルゼンチンでは、彼の誕生日の9月29日を「発明家の日」としている。2016年9月29日には、検索サイトが彼の生誕117年を記念した特別なロゴを掲げた。
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