伝記
チャールズ・フランシス・リヒターは、1900年4月26日、アメリカ合衆国オハイオ州オーバーペックに生まれた地震学者である。ドイツ系の家柄で、曽祖父は、1848年のドイツ革命のあとにバーデン=バーデンから渡ってきた亡命者の一人だった。両親のフレデリック・ウィリアムとリリアン・アンナは、彼が幼いころに離婚した。母方の祖父のもとで育ち、一家は1909年にロサンゼルスに移った。幼いころは孤立しがちで、ほかの子供と遊ぶ時間もなく、なじめないことに悩み、学校にもうまく適応できなかったという。13歳のとき、母は彼を南カリフォルニア大学付属の特別な進学校に入れた。新しい学校で成績と興味が向上し、のちまで、授業の課題やテストなどを保存していた。
16歳で南カリフォルニア大学の勉強を始め、その1年後にスタンフォード大学に移って化学を学んだ。ロサンゼルス高校を出たのちスタンフォード大学に進んで、1920年に学士号を得たという記述もある。1923年にロバート・ミリカンの物理学の連続講義を聞いて熱心になり、仕事を辞めて、カリフォルニア工科大学の大学院に進んだ。理論物理学の博士号をめざしたが、仕上げる前に、ワシントンのカーネギー研究所から職を提示された。1927年、カーネギー財団によって同大学に地震研究所が設立され、ハリー・ウッドが所長となった。ウッドはミリカンに、研究助手にふさわしい若い科学者の推薦を頼み、ミリカンはリヒターを推した。当時のリヒターは、地震学の研究を始めておらず、量子力学の経験があるだけだった。のちにこれを「幸せな偶然」と語っている。
こうして地震学に魅了され、パサデナの新しい地震研究所で、ベノー・グーテンベルグの指導のもとで働くようになった。そこでの仕事は、地震計の記録を測り、地震の震源を決めるという日常的なものだった。研究所は南カリフォルニアの地震の定期報告を出すことを望んでおり、地震の強さを測る方法が必要だった。1932年、リヒターとグーテンベルグは、地震源の相対的な大きさを測る標準の尺度を作った。これが「リヒター・スケール」と呼ばれるようになり、1935年に最初に使われた。地震による地面のずれを量的に測るという、和達清夫の1928年の論文に着想を得たものである。二人は、そのずれを測る地震計を設計し、対数を使った尺度を作った。「マグニチュード」という名は、天文学者が星の明るさを等級で測ることから、リヒターの少年時代の天文学への関心に由来する。グーテンベルグの貢献は大きかったが、取材を嫌ったため、尺度に彼の名が付かなかったという。
リヒターは1937年にカリフォルニア工科大学に戻り、1952年に地震学の教授となって、生涯そこで研究を続けた。日本では、ドイツ語風に「リヒター」と表記されるのが定着しているが、本人は米国生まれで、英語風に「リクター」と発音していた。1985年9月30日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
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