HISTORICAL PERSON · 1553年没

ルーカス・クラナッハ

ドイツ・ルネサンスの画家。ザクセン選帝侯に御用絵師として仕え、ヴィッテンベルクに工房を構えた。宗教改革者ルターの友人で、その肖像画を多く残し、独特なヴィーナス像でも知られる。

生涯
1553年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(テューリンゲン州 / ヴァイマル)
出生地
ドイツ連邦共和国(クローナハ)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(テューリンゲン州)

伝記

ルーカス・クラナッハは、ルネサンス期のドイツの画家・版画家で、同名の息子も画家であるため、父とつけて区別される。1472年にバイエルン州北部の町クローナハで生まれたとされ、10月4日ともいわれるが、正確な誕生日は不明である。父は「画家のハンス」と呼ばれる無名の画家で、「画家」は当時の慣習で姓のように用いた職業名にすぎない。母は姓をヒューブナーといい、1491年に亡くなった。修業時代はほとんどわかっていないが、父の工房で絵を学び、ほかに南ドイツの地方の親方に学んだ可能性もある。1500年ごろにウィーンで活動したともいわれる。のちに故郷の町名にちなむクラナッハの名を署名に用いるようになった。

ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に招かれ、1505年にヴァイマルに招かれたとも伝えられ、ヴィッテンベルクに工房を構えた。1504年から1520年までは、その町の市場広場の南西の角の家に住んだ。1504年6月24日の会計簿に、半年分の給与として50グルデンを受け取る「侯の画家」として名が現れる。以後は選帝侯とその後継者に生涯仕えつつ、ほかの仕事も請けた。ヴィッテンベルクの城教会のために、1508年より前に数多くの祭壇画を、デューラーやハンス・ブルクマイアーらと競って描いた。1508年に貴族の称号を得て、翼のある蛇を紋章に与えられ、以後、作品にそれを用いて、以前の頭文字にかえた。同じころ、オランダを旅し、皇帝マクシミリアンや、のちに皇帝となる少年カール5世を描いたと伝えられる。宮廷画家は1550年まで務め、多くの助手を擁する大きな工房を経営し、出版も行った。侯は薬の販売の独占権と聖書の出版特権も与え、彼の薬局は何世紀も続き、1871年の火災で失われた。

作品は、初めはカトリックの伝統に沿った宗教画だったが、のちにルター派の関心を美術で伝える新たな方法を探った。プロテスタント信仰の中心地にいて、後援者もルターの有力な支持者であり、ルターの友人でもあったため、ルターと家族の肖像画を多く残し、現存するルターの肖像は11点にのぼる。ルターのドイツ語訳聖書には木版画の挿絵も提供した。一方で、神話や聖書に取材した裸体画も生涯にわたって描いた。腰が細くくびれた独特のプロポーションのヴィーナス像は、ティツィアーノやジョルジョーネのヴィーナスとは異なる官能美をたたえている。初期には、コーブルクなどの離宮の壁に、獣や鹿の角を写実的に描いて廷臣を驚かせ、選帝侯の狩りにも同行して、雄鹿や猪を追う侯の姿をスケッチした。

家庭では、ゴータの市民の娘バルバラ・ブレンビールと結婚し(のちにゴータにも家を持った)、彼女は1540年12月26日にヴィッテンベルクで亡くなった。二人の息子はどちらも画家で、ハンスは1537年にボローニャで没し、1515年生まれのルーカスは父と区別して小クラナッハと呼ばれ、1586年に没した。娘は3人あり、その一人バルバラの子孫にゲーテがいる。父の死後も、息子たちや工房の者が何十年にもわたって父の作品の複製を作り続けた。ルーカス・クラナッハは1553年10月16日に世を去った。ドイツで当時最も成功した美術家とも評される。

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