HISTORICAL PERSON · 1986年没

ミルチャ・エリアーデ

ルーマニア出身の宗教学者・宗教史家・作家。幻想文学や自伝的小説でも知られ、エミール・シオランやイヨネスコと生涯の友人だった。

生涯
1986年没
死亡地
アメリカ合衆国(イリノイ州 / シカゴ)
出生地
ルーマニア(ブカレスト)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(イリノイ州)

伝記

ミルチャ・エリアーデは、1907年3月13日、ルーマニアのブカレストに生まれた宗教学者、宗教史家、民俗学者、作家である。小説では主に、幻想文学と自伝的小説で知られる。1932年ごろ、ブカレスト大学でエミール・シオランやウジェーヌ・イヨネスコと出会い、3人は途中の短い中断をはさみつつ、生涯の友人となった。8つの言語、すなわちルーマニア語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語、ヘブライ語、ペルシア語、サンスクリット語を、流暢に使いこなしたという。

カシムバザールのマハラジャが、ヨーロッパの研究者のために資金援助していると知ったエリアーデは、その奨学金に応募し、カルカッタで4年間の研究を行うことを認められた。1928年、サンスクリット語と哲学をインドの哲学者ダスグプタのもとで学ぶために、船でカルカッタへ向かった。ダスグプタは、ケンブリッジ大学を卒業したカルカッタ大学のベンガル人教授で、『インド哲学史』全5巻の著者だった。エリアーデは、教授の娘マイトレイと恋に落ち、結婚を望んだが、ダスグプタに反対されて実現しなかった。この体験をもとに、のちに小説『マイトレイ』が書かれた。1930年9月にダスグプタのもとを去り、1931年3月までヒマラヤの山小屋にこもった。1931年12月にルーマニアに帰国した。

帰国後はブカレスト大学で、ナエ・イオネスクの助手を務め、講義と著作の活動を行った。1933年5月に発表した小説『マイトレイ』は、大評判となった。1938年7月、政治的な理由で逮捕され、ナエ・イオネスクとともに収容所に送られたが、年内に釈放された。1940年には、ルーマニア政府によりロンドンに、文化担当の大使館職員として派遣され、1941年から1944年までは、リスボンの大使館に同様に勤めた。エリアーデは、1970年代以降、戦前に極右の政治組織である鉄衛団に共感を抱いていたことを、自己批判してきた。ただ、その政治的な見解は、インドでの研究に始まる学問的業績に、大きな影響は及ぼしていないとされる。

第二次世界大戦後はパリに移住して、ドイツの作家エルンスト・ユンガーと、雑誌『アンタイオス』を共同で編集、発行した。1957年には、ヨアヒム・ワッハの呼びかけに応じて、シカゴ大学に赴任し、その後はシカゴで過ごした。1949年の『永遠回帰の神話』、1951年の『シャーマニズム』、『宗教学概論』『ヨーガ』『聖と俗』『世界宗教史』など、多くの著作がある。宗教史に関する業績では、シャーマニズム、ヨーガ、宇宙論的な神話に関する著作が最も評価されている。シャーマニズムについては、憑依ではなく脱魂(エクスタシー)が本質だと説いた。一方で、取り上げる神話や儀式の選び方が恣意的で、理論を宗教全般に当てはめるには証明が足りないという批判や、ヒンドゥー教をロマン主義的に捉えているという批判もある。1986年4月22日、脳卒中で倒れたのち、シカゴで亡くなった。シカゴのオークウッズ墓地に埋葬された。没後、シカゴ大学神学部宗教史学科は、その名を冠した記念講座を設置した。画家の岡本太郎が、エリアーデの著作から思想的に大きな影響を受けたことも指摘されている。

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