HISTORICAL PERSON · 1986年没

フアン・ルルフォ

『ペドロ・パラモ』と短編集『燃える平原』の2冊で評価されるメキシコの小説家・写真家。ラテンアメリカ文学の重要な作家の一人。

生涯
1986年没
死亡地
メキシコ合衆国(メキシコシティ)
出生地
メキシコ合衆国(Sayula Municipality)
出典
世界地図
メキシコ合衆国(メキシコシティ)

伝記

フアン・ルルフォは、1917年5月16日に生まれ、1986年1月7日にメキシコシティで没したメキシコの小説家、写真家である。ラテンアメリカの作家のなかでも重要な作家の一人で、2冊の薄い本、『ペドロ・パラモ』(1955年)と、短編集『燃える平原』(1953年)によって評価されている。

ハリスコ州サユラにあった父方の祖父の家で生まれた。1923年に父が殺され、1927年11月には母が心臓発作で亡くなった。10歳だった彼は祖母に引き取られ、サン・ガブリエルで育った。地主だった一族の財産は、メキシコ革命と、1926年から1928年にかけてのクリステロ戦争によって失われた。母の死から1年後には二人の叔父も亡くなった。1928年から1932年まで学校に通い、簿記係の免許を得たが、その職には一度も就かなかった。1932年から1934年まで神学校に通い、大学にも進もうとしたが、グアダラハラ大学がストライキで閉鎖されていたこと、予備課程を取っていなかったことから断念した。代わりにメキシコシティに出て、国立陸軍士官学校に3か月在籍したあと、国立自治大学で法律を学ぶことを希望した。1936年に、政府で働く叔父を通じて出入国管理事務所の文書係に就職し、大学の文学課程を聴講できるようになった。

同僚のエフレン・エルナンデスの指導で、文章を書き始めた。1944年には、文芸雑誌『パン』を共同で立ち上げた。管理事務所で昇進し、派遣員としてメキシコ各地を旅した。1946年に事務所を辞めてグッドリッチ・エウスカディの主任となり、穏やかな性格が卸売りのセールスマンに向いていたため、1952年に会社の車にラジオを欲しがったという理由で解雇されるまで、南メキシコ中を旅して回った。1948年4月にグアダラハラでクララ・アパリシオと結婚した。ロックフェラー財団が支援する作家センターの特別研究員となり、1952年から1954年にかけて、彼の名を有名にする2冊の本を書くことができた。

最初の本『燃える平原』は、メキシコ革命とクリステロの反乱の時代の田舎を描いた短編集で、とくに有名なのは、処刑される老人を主人公とする「殺さねえでくれ」と、傷ついた息子を背負って医者を探す男を描いた「犬の声は聞こえんか」である。二番目の『ペドロ・パラモ』は、短めの長編小説で、フアン・プレシアドという男が、父を探して、死んだ母の故郷コマラを訪れる。そこは幽霊の住民が住む、文字通りのゴーストタウンだった。発表当時の反応は冷ややかで批判的であり、最初の4年間で2000部しか売れなかったが、のちに高い評価を受け、ガルシア=マルケスなどに重大な影響を与えた。ガルシア=マルケスは、最初の4冊を書いたあと、小説家として八方ふさがりになったように感じ、1961年に『ペドロ・パラモ』を見つけて、人生が変わったと述べている。

2冊の本を出した後は、物語の執筆を実質的にやめたが、メキシコ文学界の主要人物であり続けた。1956年から映画やテレビの脚本を書き始め、優れた写真家でもあった。1962年から亡くなる年まで、国立先住民局の出版部のディレクターと編集長を務め、先住民の暮らしを記録した写真集のシリーズを出版した。1970年にメキシコ国民文学賞を受け、1983年にはアストゥリアス皇太子賞を受賞した。ヘビースモーカーで、肺癌のため68歳で亡くなった。

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