HISTORICAL PERSON · 1987年没

リー・マーヴィン

見事な銀髪と強面の風貌でアクション映画を中心に活躍したハリウッドスター。海兵隊に従軍してサイパンの戦いで負傷し除隊した。

生涯
1987年没
死亡地
アメリカ合衆国(アリゾナ州 / トゥーソン)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(アリゾナ州)

伝記

リー・マーヴィンは、1924年2月19日にニューヨークで生まれ、1987年8月29日に63歳で没したアメリカ合衆国の俳優である。本名はラモント・ウォルトマン・マーヴィン・ジュニア。低音の声と若くして白くなった髪で知られ、強面の風貌をいかして、タフな男を演じる役で最もよく記憶されている。第二次世界大戦では、勲章を受けた海兵隊員でもあった。

父ラモントは、第一次世界大戦に従軍した陸軍工兵隊の元兵士で広告会社の重役、母コートニーは、ファッション関係の記事を書く仕事をしていた。南軍の将軍ロバート・E・リーの遠い親戚にあたり、初代大統領ジョージ・ワシントンの遠縁でもあるという。幼いころにヴァイオリンを学んだが、学校は好きでなく、成績は悪かった。十代には、週末や余暇に、当時まだ未踏だったエヴァグレーズ湿地の奥で、鹿やピューマなどを狩って過ごした。喫煙、授業の欠席、けんかなどの素行の悪さから、いくつもの学校を放校になった。1942年8月12日、18歳で海兵隊に入隊し、第4海兵師団の狙撃兵として太平洋戦線で戦った。21回に及ぶ日本軍占領下の島々への上陸作戦に加わったとされる。1944年6月18日、サイパンの戦いでタポーチョ山への攻撃に加わり、中隊の大半が死傷するなか、機関銃で座骨神経を断たれ、さらに狙撃兵に足を撃たれた。1年以上の病院での治療ののち、医療上の理由で除隊した。紫心章などの勲章を受けている。

戦後、ニューヨーク州北部のウッドストックで、配管工の助手として働いていたとき、稽古中に病気になった俳優の代役を頼まれた。これで演技に取りつかれ、週7ドルでその劇団の仕事を得た。復員兵援護法を使って演劇学校で学び、オフ・ブロードウェイの舞台に出るようになった。1951年2月にブロードウェイの小さな役を得た。映画デビューは1951年のヘンリー・ハサウェイ監督の戦争映画で、撮影の一部がハリウッドであったことから、カリフォルニアにとどまる決心をした。戦闘を経験した退役軍人として、戦争映画では、歩兵の動きや銃器の扱いを、監督や他の俳優に助言した。

デビュー当時は、その風貌から、もっぱらB級映画の悪役を演じていた。1957年秋にテレビで放映された刑事ドラマ『シカゴ特捜隊M』に主演し、警部フランク・バリンジャーを演じて、従来のイメージを一新した。ジョン・フォード監督の『リバティ・バランスを射った男』(1962年)では、ジョン・ウェインを相手に張り合う演技を見せて注目された。喜劇調の西部劇『キャット・バルー』(1965年)の一人二役で、アカデミー主演男優賞を受賞した。この作品で、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、ベルリン国際映画祭の銀熊賞も受けている。その後も、『特攻大作戦』(1967年)や『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1967年)、『北国の帝王』(1973年)などで、タフなアクションスターとして活躍した。1967年10月に来日した。1987年8月29日、心臓発作によりアリゾナ州ツーソンで死去した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物