伝記
ルイス・ウォルター・アルヴァレズは、1911年6月13日、サンフランシスコのカトリックの家庭に生まれたアメリカの物理学者である。父ウォルターは医師で、母はハリエットといった。祖父のルイス・F・アルヴァレズは、スペインのアストゥリアス出身の医学者で、アメリカに定住して、ハンセン病の診断のよりよい方法を見つけた人物である。姉グラディス、弟ボブ、妹バーニスがいた。1926年に父がミネソタ州のメイヨー・クリニックの研究者となったため、一家はミネソタ州ロチェスターに移った。カリフォルニア大学バークレー校に行くつもりだったが、教師に勧められて、シカゴ大学に進み、1932年に学士、1934年に修士、1936年に博士号を取得した。大学院生のとき、物理学の面白さを知り、伝説的な物理学者マイケルソンの装置を使う機会を得た。ガイガー計数管を並べた宇宙線望遠鏡を作り、指導教官コンプトンのもと、メキシコシティで宇宙線の東西効果を測り、西から来る放射線が多いことから、宇宙線が正の電荷を持つと結論した。
1936年、アーネスト・ローレンスのもとで、放射線研究所に勤務した。姉がローレンスの秘書をしていた縁だった。婚約者のジェラルディン・スミスウィックと結婚し、二人の子が生まれた。電子捕獲の研究を行い、1930年代には理論物理学者ブロッホと協力して、中性子の磁気モーメントの測定に成功し、1940年に報告した。1939年、たまたま入った散髪屋で、ドイツでの核分裂反応発見の新聞記事を見て、ドイツの核兵器開発の成功を恐れるようになった。1940年からはレーダー計画に貢献し、1943年から1944年にはマンハッタン計画に参加して、プルトニウム原爆の爆縮レンズに使う起爆電橋線型雷管を開発した。1945年7月16日の人類最初の核実験トリニティでは、実験場から約40キロの上空の観測機から、爆発の威力を測定し、観察した。
1945年8月6日の広島への原爆投下では、観測機グレート・アーティストに搭乗し、人類初の実戦での核兵器使用を目撃して、ラジオゾンデ3個で爆発威力を測った。家族への手紙によれば、この任務はためらっていた。帰りの機上で、4歳の息子ウォルターに、大人になったら読んでほしい手紙を書き、後悔の念と、戦争を終わらせるだろうという思いを述べている。8月9日の長崎の投下には搭乗しなかったが、ラジオゾンデに、日本政府へ降伏を働きかけるよう勧める、東京帝国大学教授の嵯峨根遼吉宛ての手紙を同僚のフィリップ・モリソンと書いて同封した。これは日本軍に回収され、嵯峨根には伝わらなかった。ソ連が原爆実験に成功すると、水爆の開発に取り組んだが、後に核兵器開発から離れた。
戦後は、液体水素の泡箱の設計にかかわり、チームが膨大な写真を撮影して、新しい粒子や共鳴状態の一群を発見し、その成果で、1968年にノーベル物理学賞を受賞した。宇宙線と放電箱でピラミッドの内部を透視する計画や、ケネディ暗殺についての見解など、広い分野に好奇心を示した。1980年、地質学者の息子ウォルターと、白亜紀と第三紀の境界の粘土層に、イリジウムの濃度が高いことを見出し、隕石衝突による大量絶滅説を発表した。1988年9月1日、癌のためバークレーで死去し、遺灰はモントレー湾にまかれた。
同じ年に亡くなった人物
- ライマン・レムニッツァー (1988年没)
- メルヴィン・フランク (1988年没)
- ファリダ (エジプト王妃) (1988年没)
- アイリーン・マントン (1988年没)
- クラウス・フックス (1988年没)
同じ地域に関係する人物
- アドリアン・ヴァン・マーネン (1946年没)
- Nathaniel Branden (2014年没)
- ロバート・パストレリ (2004年没)
- ブルース・マレイ (2013年没)
- ジョン・ドール (1971年没)