伝記
ウィレム・ドレースは、1886年7月5日にアムステルダムで生まれ、1988年5月14日にデン・ハーグで没したオランダの政治家である。社会民主労働党の党員で、のちに労働党の共同創設者となり、1948年8月7日から1958年12月22日まで、第37代のオランダ首相を務めた。名宰相の誉れが高く、2006年にラジオ局が実施した世論調査では、戦後最高の首相に選ばれた。101歳まで生きた。
正統派の改革派教会に属する中産階級の家庭に生まれた。銀行家だった父は、ドレースが5歳のときに亡くなり、母と、きょうだい2人、そして彼自身は、苦しい経済状況に置かれた。叔父の援助によって、学業を続けることができた。日曜学校や教理問答に通って育ったが、18歳でキリスト教の教えを退けた。この時期に、政治や社会の問題に関心を持った。商業学校では、ダイヤモンド労働者の息子たちと出会い、16歳で酒類廃止を求める協会に加わり、生涯を通じて酒を飲まなかった。1902年にトルールストラの演説を聞いてから民主社会主義者となり、18歳の誕生日に社会民主労働党へ入党した。商業学校の校長からは、醸造所での職を提案されたが、酒に反対だったため断った。1903年から銀行に勤め、1906年7月に辞めて、アムステルダム市議会の速記者となった。その後、1907年1月から1919年8月まで、ハーグの国会で速記者を務めた。
1910年に党のデン・ハーグ支部の執行委員となり、翌年25歳で支部長に選ばれて、1931年まで務めた。1913年にデン・ハーグ市議会議員に選ばれ、1941年まで務めた。1919年から1941年までの22年間は、南ホラント州議会議員も兼ねた。1927年から1941年まで党の役員を務め、1933年から1940年に第二院議員となった。ドイツ占領中の1940年10月、ブーヘンヴァルト強制収容所に収容されたが、翌月に釈放された。釈放後は地下組織の副議長などを務め、ナチスからの解放に向けて尽力した。戦後の1945年6月から1948年8月まで、社会問題相と副首相を務め、1946年2月に労働党の共同創設者となって、初代の党首になった。
1948年8月7日から、4次にわたる長期政権で首相を務めた。首相の在任中は、脱植民地化のトラウマ、福祉国家の確立、国際的な統合と協力といった課題に直面し、とくに経済協力開発機構や北大西洋条約機構、欧州石炭鉄鋼共同体、欧州経済共同体の設立では、国内で主導的な役割を果たした。1958年12月に政権が崩れると、名誉国務大臣に任命された。しかし、労働党内で新左翼の動きが活発になると強い不満を示し、長く所属した党を、1971年に離れた。その後も高齢ながら、政界に隠然たる影響力を持ち、97歳まで多くの書物を出版した。エスペランティストとしても知られ、1954年にハールレムで開かれた世界大会で講演した。
同じ年に亡くなった人物
- ロイス・ウィルソン (1988年没)
- Africa de las Heras Gavilan (1988年没)
- アンドリュー・ダガン (1988年没)
- ジャン=ミシェル・バスキア (1988年没)
- 葉紹鈞 (1988年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘイケ・カメルリング・オネス (1926年没)
- アドリアン・ハンネマン (1671年没)
- ペーター・シュールド・ヘルブランディー (1961年没)
- ウィレム1世 (ホラント伯) (1222年没)
- ヨハン・ルドルフ・トルベッケ (1872年没)