伝記
ヴィクトル・ロベルトヴィッチ・ツォイは、1962年6月21日に生まれ、1990年8月15日に没したソビエト連邦の歌手、俳優で、ロックバンド「キノー」のボーカルである。レニングラード、現在のサンクトペテルブルクに生まれた。父は、カザフ共和国のクズロルダ出身で、朝鮮人のエンジニアであり、いわゆる高麗人にあたる。母はレニングラード出身のロシア人の教師だった。ツォイという姓は、朝鮮人に多い姓の転写である。
1974年から二つの美術学校に通い、1977年にセロフ記念の美術学校に入学したが、成績不振で放校になった。その後入学した職業学校で、木工職人の技術を身につけて卒業した。日本の根付を彫刻でつくったり、ロバート・プラントなど、西側のミュージシャンの肖像画を描いて闇市で売ったりして収入を得た。ウクライナのキエフで不法就労をして、強制送還されたこともある。17歳から作詞を始め、ミハイル・ボヤルスキーやヴラジーミル・ヴィソツキーといった歌手のほか、ブルース・リーのファンだった。初期の曲では、レニングラードの街の暮らしや、恋、友人を歌い、限られた機会の中で、厳しい世界を生き抜こうとする若者が、歌の主人公になることが多かった。
当時のソ連では、ロックはほとんどレニングラードに限られた非公式の活動だった。政府は、気に入った芸術家には住居や録音スタジオなどの便宜を与えたが、ロックは国家の最高層から嫌われていた。ツォイは、小さな演奏から始め、そこでアクアリウムのメンバーに見出され、その助けで1981年に自分のバンドを結成した。バンドは翌年にキノー、すなわち「映画」を意味する名に改まり、ツォイは1982年にレニングラードのロック・クラブで舞台に立った。自宅で録音したカセットテープは、ロックの愛好家によってレニングラードから全国へと広がった。ソ連唯一のレコード会社と契約がなく、非公式で未検閲の活動だったが、発表する作品は大ヒットとなり、他国の慈善企画にも招かれた。
1985年に妻マリアナとの間に、息子アレクサンドルが生まれた。マリアナによれば、生活は苦しく、一家はボイラー室に住んで、ウエディングドレスを買う余裕もなかったという。この一家が住んだボイラー室は「カムチャツカ」と名づけられ、聖地になっている。1987年には映画に本人役でカメオ出演し、1988年には映画『針』に初主演した。このころからキノーの人気は過熱していった。1990年4月末から5月上旬にかけて3日間、日本を訪れ、サザンオールスターズのライブに招かれて、桑田佳祐と会った。キノーとサザンオールスターズのワールドツアーが計画されていたとも言われる。
1990年8月15日、ラトビアのトゥクムス近郊の道路で、運転中に事故に遭い、亡くなった。ハンドルを握ったまま眠り込んだとされる。ソ連・ロシアの音楽界に与えた影響は大きく、モスクワのアルバート通りには、彼を称える落書きで埋め尽くされた「ツォイ・ウォール」が残っている。サンクトペテルブルクなどにも同様の壁がある。小惑星の一つは、その名にちなんで命名された。1999年10月には、ロシアで記念切手の一種に描かれた。
同じ年に亡くなった人物
- サラ・ヴォーン (1990年没)
- ホセ・フィゲーレス・フェレール (1990年没)
- 孫立人 (1990年没)
- ハンス・フロイデンタール (1990年没)
- ミゲル・ムニョス (1990年没)
同じ地域に関係する人物
- オットー・キッテル (1945年没)
- ジクフリーツ・メイエロヴィッツ (1925年没)