HISTORICAL PERSON · 1991年没

ジョージ・スティグラー

アメリカの経済学者。シカゴ大学で教え、1982年にノーベル経済学賞を受賞した。

生涯
1991年没
死亡地
アメリカ合衆国(イリノイ州 / シカゴ)
出生地
アメリカ合衆国(レントン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(イリノイ州)

伝記

ジョージ・ジョセフ・スティグラーは、1911年1月17日、ワシントン州シアトルに生まれたアメリカの経済学者である。両親は、ハンガリー出身の母エルジェーベトと、バイエルン出身の父ヨーゼフで、ドイツ系とハンガリー系の血を引き、幼いころはドイツ語を話した。1931年にワシントン大学を卒業して学士号を得た。翌年には、ノースウェスタン大学で経営学を学んで修士号を取り、この大学で経済学に興味を持ち、学問の道に進むことを決めた。シカゴ大学から授業料の奨学金を得て、1933年に同大学に入り、フランク・ナイトの指導を受けた。ミルトン・フリードマンは、50年以上の友人で、スティグラーがナイトのもとで博士論文を通したことは驚くべきことだと語った。ナイトが28年間シカゴにいた間に、それができた学生は3、4人しかいなかったという。ほかに、ジェイコブ・ヴァイナーやヘンリー・サイモンズの影響を受け、同級にはフリードマンやアレン・ウォリスがいた。

1936年から1938年までアイオワ州立カレッジで教え、1938年にシカゴ大学から博士号を取得した。第二次世界大戦中は、コロンビア大学で多くの時間を過ごし、マンハッタン計画のために、数学や統計学の調査を行った。ブラウン大学で1年を過ごしたのち、1947年から1958年までコロンビア大学の教授を務めた。1947年に設立されたモンペルラン・ソサエティーの設立に携わり、1976年から1978年にはその会長を務めた。1959年にシカゴ大学に戻り、1964年にはアメリカ経済学会の会長を務めた。1977年には、シカゴ大学の経営大学院に、経済と国家の研究センターを創設した。センターは、没後、彼の名を冠した。

産業組織論や経済学史を主な領域として研究した。産業組織論では、20世紀前半の主流だったハーバード学派に対抗して、市場構造の集中度が高いことが、必ずしも市場の非効率にはつながらないことを示した。また、価格と経済の現象にのみ適用されていた新古典派経済学を、ゲーリー・ベッカーとともに拡張して、あらゆる行動は合理的に選択されている、という点を示したことでも知られる。1971年には、規制の経済理論を発表した。本来は消費者の保護のはずの規制が、いつの間にか生産者の保護のための規制に転換してしまう、「規制の虜」の仕組みを明らかにし、規制よりも市場構造に重点を置く政策を支持した。1961年の論文「情報の経済学」は、彼の最も重要な貢献とされ、フリードマンは、新しい研究領域を作り出したと評した。「情報は価値ある資源だが、経済学の町では、スラム街に暮らしている」と述べている。

シカゴ学派の重鎮で、フリードマンと並ぶ存在だった。鋭いユーモアの持ち主として知られ、風刺的な随筆も書いた。1982年に、市場と規制に関する研究が評価されて、ノーベル経済学賞を受賞した。1987年にはアメリカ国家科学賞も受けた。経済学史の論文を数多く書き、そのうち14編を1965年にまとめて再刊した。著書に日本語訳のある『価格の理論』『産業組織論』『小さな政府の経済学』『現代経済学の回想』などがある。1991年12月1日、シカゴで死去した。

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