伝記
ジーン・ロッデンベリー、フルネームをユージーン・ウェスリー・ロッデンベリーは、1921年8月19日にテキサス州エルパソで、借家に住む両親の長男として生まれたテレビ・映画プロデューサーで、SF作品『スタートレック』の生みの親として知られる。父ユージーン・エドワードとキャロライン・ゴレモンの子で、1923年に一家はロサンゼルスに移り、父は公務員試験に合格して警察官になった。幼いころから、パルプ雑誌や漫画を読むのが好きで、ターザンやジョン・カーターの物語を愛読した。ロサンゼルス・シティー・カレッジで警察の課程を学んだが、航空工学に興味を持つようになった。民間の操縦士養成の計画で免許を取り、1941年12月に軍務に就き、1942年に陸軍航空隊を卒業して少尉となった。第二次世界大戦では、B-17爆撃機のパイロットを務め、太平洋の島々で任務に就いた。1943年8月、ヴァヌアツのエスピリトゥサント島で、滑走路を150メートル以上行き過ぎてしまって樹木に衝突し、機内で火災が起き、同乗者の2人が亡くなったが、報告書では責任はないとされた。その後は国内で、航空事故の調査官として各地を飛び回った。殊勲飛行十字章とエアメダルを受けた。
戦後の1945年、パンアメリカン航空のパイロットとなった。1947年6月18日の便がシリアの砂漠に墜落し、機長だったロッデンベリーは、あばら骨を2本折りながらも乗客の救出を助け、現地住民の協力もあって帰還し、表彰された。この経験で人生が変わったとも語っている。パイロットは飛行までの待ち時間が長く、暇つぶしに詩や小説を書くうちに、航空雑誌に投稿するようになった。このとき初めて『スタートレック』の構想を公表した。1948年に退職し、テレビの時代が来ることを見越して、脚本家をめざし、生活のため、1949年1月にロサンゼルス市警察に入った。最初は全く売れなかったが、白バイに乗って脚本を業界まで届けるなど地道に売り込みを続け、1950年代から多数のテレビドラマの脚本を担当した。収入が警察官の6倍になったため、警察を辞めた。
1963年にアメリカ海兵隊員の生活を描くシリーズ『ザ・ルーテナント』のプロデューサーを務めた。ベトナム戦争などの社会批判を盛り込もうとして検閲が入ったが、直接でなく比喩で間接的に批判すれば通ることに気づいた。1964年に『スタートレック』を構想し、西部を行く幌馬車隊の物語を宇宙で展開するSFとして、パイロット版を2本作るなどの紆余曲折を経て、1966年に放送が始まり、3シーズンで終了した。総指揮と脚本を務めたが、契約はアイデアの提供のみでサインしたため、作ったこと自体では1ドルも儲けていないという。脚本を担当した「タロス星の幻怪人」はヒューゴー賞を受賞した。シリーズの終了後、女優のメイジェル・バレットと明治神宮で神前結婚をあげた。1979年に映画化したが、制作費が膨れ上がり、内容も厳しく評価され、以降は制作顧問に回った。それでも創作意欲は衰えず、1987年から『新スタートレック』を制作して成功させた。1985年には、俳優以外の映像作品スタッフとして初めて、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名を刻んだ。1991年10月24日、映画6作目の制作中に、かねてからの発作で亡くなった。70歳であった。1997年に世界初の宇宙葬で、その遺灰が宇宙へ打ち上げられた。
同じ年に亡くなった人物
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- アラダー・ゲレビッチ (1991年没)
- ヴァルター・ゼーマン (1991年没)
- スティーヴ・マリオット (1991年没)
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