HISTORICAL PERSON · 1993年没

リヴァー・フェニックス

アメリカの映画俳優。『スタンド・バイ・ミー』を代表作とし、ジェームズ・ディーンの再来と騒がれたが23歳で夭折した。

生涯
1993年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ウェスト・ハリウッド)
出生地
アメリカ合衆国(マドラス)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

リヴァー・ジュード・フェニックスは、1970年8月23日にアメリカ合衆国オレゴン州マドラスで生まれた映画俳優である。旧姓はボトムで、カトリック教徒で大工の父と、ハンガリー系・ロシア系の正統派ユダヤ教徒の母の長子として生まれ、のちに5人きょうだいとなった。名は、ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』にある「生命の川」と、ビートルズの「ヘイ・ジュード」に由来するという。

1973年、一家はカルト的な宗教団体「神の子供たち」に入り、両親が宣教師となったため、幼少期を南アメリカの各地で転々として過ごした。1977年に団体を離れて帰国し、ロサンゼルスに移ると、灰から甦る不死鳥のように新しい人生へ生まれ変わる思いを込めて、家族の姓をフェニックスに改めた。帰国後は妹とともに路上で芸を見せて生活費を稼ぎ、それがエージェントの目に留まった。母がNBCの職に就き、アイリス・バートンがエージェントを務めるなか、10歳でテレビに初出演し、広告やテレビシリーズの仕事を重ねて、1985年の『エクスプローラーズ』で映画俳優としてデビューした。

1986年、15歳で『スタンド・バイ・ミー』のクリス役を演じて世界的に注目された。無名の少年たちが主役だったため配給会社が決まらず難航したとされ、最終的にコロンビア・ピクチャーズが配給することになった。同年の『モスキート・コースト』で父子を演じたハリソン・フォードから、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989年)で若き日のヘンリー・ジョーンズ・ジュニアを演じる誘いを受け、冒頭を躍動感ある演技で飾った。フォードは、のちに彼の死を受けて「彼は私の息子を演じたんだ。そして私は、彼を息子のように愛していた」と語っている。1988年には『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、スターの座へ駆け上がった。1991年の『マイ・プライベート・アイダホ』ではヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞しており、この作品は2024年にアメリカ国立フィルム登録簿に選ばれた。同年公開の『恋のドッグファイト』では、スタジオと監督の対立から監督が降板した際、再撮影への参加を拒んだと伝えられている。

交友ではキアヌ・リーブスが親友で、『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』や『マイ・プライベート・アイダホ』でも共演した。レッド・ホット・チリ・ペッパーズとも親しく、アンソニー・キーディスとフリーは「トランセンディング」を追悼のために作った。環境保護や動物保護にも熱心で、お金を持てたらアマゾンの熱帯雨林を何千エーカーも買い取って開発させないようにしたい、と語っていた。弟ホアキンには俳優になることを強く勧めたという。

1993年10月31日、弟とともに訪れたウェスト・ハリウッドのナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」の入口付近で倒れ、病院に搬送されたが、午前1時51分に死亡が宣告された。検視報告書の公式な死因は急性多剤中毒で、体内からは致死量の8倍のヘロインとコカインが検出されたと伝えられる。23歳だった。遺体は火葬され、家族の農場の木の後ろに遺灰が撒かれた。遺作『ダーク・ブラッド』は、未完成のまま眠っていたが、2012年9月にオランダで上映された。弟のホアキンは、のちに2019年の『ジョーカー』でアカデミー主演男優賞を受賞している。

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