伝記
ブランドン・ブルース・リーは、1965年2月1日にアメリカ合衆国カリフォルニア州オークランドで生まれた中国系アメリカ人の俳優である。中国名は李國豪。武術家で映画スターのブルース・リーと、リンダ・リー・キャドウェルの間に生まれた長男で、家族は父の仕事の都合で香港とアメリカを行き来して暮らした。ジークンドー、詠春拳、エスクリマ、シラット、ムエタイなどの武術を身につけた。父の撮影現場を訪れるうちに、演技に関心を持つようになったという。幼いころから父に武術の手ほどきを受け、5歳で厚さ約2.5センチの板を蹴り割れたと祖母のグレース・ホーが語っている。父は1973年に急死し、武術と映画の象徴的存在として名を残した。
父の死後、一家はカリフォルニアに戻った。9歳から父の弟子ダン・イノサントに学び、のちにリチャード・ブスティージョやジェフ・イマダにも師事した。イマダによれば、十代のブランドンは自分の立場に悩み、道場に父の大きな写真が飾られていることがつらくて、武術から離れてサッカーに打ち込んだという。反抗的な高校生で、1983年には卒業の4か月前に学校を退学になり、同じ年に高校卒業程度認定を取った。その後ニューヨークのリー・ストラスバーグ演劇映画学院で演技を学び、ボストンのエマーソン大学では演劇を専攻して、舞台にも出演した。
1985年にロサンゼルスへ戻り、脚本の下読みをして働いていたとき、キャスティング・ディレクターの目に留まって、テレビ映画『ブランドン・リーのカンフー・ファイター』で俳優デビューした。父の映画の分野との関わりを避けていたため、出演を説得されて引き受けたとされる。1986年2月1日にABCで放送された。同じころの香港映画『ファイアー・ドラゴン』では初主演を務めた。ロニー・ユー監督の作品で、冤罪を着せられた青年を演じ、香港で撮った唯一の映画で、広東語で演じた。香港電影金像奨の新人賞候補になり、1987年のカンヌ国際映画祭でも評価され、日本では興行的に成功した。1987年にはテレビのパイロット版にも主演している。
ハリウッドでは、家庭用ビデオで商業的に成功した『バトルドラゴン』(英題はレーザー・ミッション)に主演し、1991年にはドルフ・ラングレンと共演した『リトルトウキョー殺人課』に出た。続く1992年の『ラピッド・ファイアー』では、ジェフ・イマダとともに格闘の振り付けも担当し、評価は割れたが、画面での存在感は称賛された。
出世作になるはずだったのは、超自然的なヒーロー映画『クロウ/飛翔伝説』であった。1993年3月31日、ノースカロライナ州ウィルミントンでの撮影中、銃撃犯役の俳優が主演のブランドンに向けて小道具の銃から空包を発射した。銃の内部に弾頭の部分が残っていたとみられ、それが発射されて腹部に当たり、ブランドンは亡くなった。28歳だった。撮影はほとんど済んでおり、残りは未使用の映像やCGで補われた。公開後、死後に演技が称賛され、映画は批評面でも興行面でも成功した。父と同様に、ともに出世作の公開前に若くして世を去った点が、しばしば比較される。
同じ年に亡くなった人物
- モーゼス・ガン (1993年没)
- トニー・バートン (サッカー選手) (1993年没)
- アルバート・コリンズ (1993年没)
- アーチー・ウィリアムズ (1993年没)
- モムチロ・ガヴリッチ (1993年没)
同じ地域に関係する人物
- ミゲル・デ・ラ・マドリ・ウルタード (2012年没)
- アウグスト・モンテローソ (2003年没)
- Leona Vicario (1842年没)
- Jose Luis Borbolla (2001年没)
- エル・サント (1984年没)