伝記
ロベール・ドアノーは、1912年4月14日、パリ南東郊のヴァル=ド=マルヌ県のジャンティイに生まれたフランスの写真家である。報道写真やファッション写真の分野で活躍し、パリの街角を撮りつづけた。ヒューマニズムの写真を擁護し、アンリ・カルティエ=ブレッソンとともに、フォトジャーナリズムの先駆者とされる。対照的な事物の並置や、社会階層の混在、変わり者たちを、皮肉をまじえて写した。子供たちが街で遊ぶ文化にも注目した。父は配管工で、4歳のころ、第一次世界大戦で亡くなった。母も7歳のときに亡くなり、彼はおばに引き取られて育った。厳しい幼少期を過ごした。
13歳で工芸学校エスティエンヌに入り、1929年に、彫刻と石版印刷の資格を得て卒業した。16歳のころに写真を撮りはじめ、石畳から始めて、子供、大人へと広げた。1920年代の終わりに、製薬会社の広告のデザインを手がけるアトリエで、レタリングの仕事を得て、撮影助手を経て、専属の写真家となった。1931年に広告の仕事を離れ、前衛的な写真家アンドレ・ヴイニョーの助手となり、1932年に最初の写真の連載を雑誌に売って、独立した。1934年から1939年まではルノーに勤務して、工場の記録写真を担当した。しかしプリントの出来にこだわるあまり、遅刻が重なり、解雇された。のちに1991年には、ルノーで過ごした年月が、「写真家としての経歴の始まりであり、青春の終わりだった」と語っている。
第二次世界大戦が始まると、フランス軍に召集されたが、1940年に結核を発症して除隊となった。戦時中は、彫刻やレタリングの技術を使って、レジスタンスのために、旅券や身分証を偽造した。1945年から1947年には、フランス共産党に所属し、左翼系の芸術家たちと交流した。戦後は、フリーの写真家として、『ライフ』誌など国際的な雑誌に写真を売り、1946年にはラフォ写真通信社に再び加わって、生涯そこに所属した。アンリ・カルティエ=ブレッソンから、マグナム・フォトに誘われても、移らなかった。1949年に雑誌『ヴォーグ』のフランス版と契約し、ファッション写真を手がけた。夜ごと、ロベール・ジローとともに、パリの街を歩き回って撮影した。ピカソ、コクトー、ボーヴォワール、ジャコメッティ、ブラックら、多数の芸術家の肖像写真も撮った。詩人のジャック・プレヴェールが、日常の街の風景を撮る自信を与えてくれたと語っている。
最も有名な作品は、1950年に『ライフ』誌のために撮った、「パリ市庁舎前のキス」である。パリの雑踏で口づけを交わす恋人たちの写真で、パリの若い愛の象徴として、世界に知られた。この作品は、東京都写真美術館の1階の外壁にも、写真壁画として掲げられている。のちに、この作品は「演出された」ものであったと判明し、写っていた二人の身元は、1992年まで知られていなかった。1934年にピエレット・ショーメゾンと結婚し、二人の娘をもうけた。妻は1993年に亡くなり、6か月後の1994年4月1日、81歳で世を去った。内気で謙虚な人柄だったとされ、1984年にレジオンドヌール勲章を授与された。
同じ年に亡くなった人物
- ジェリー・ルービン (1994年没)
- シャーロット・アワーバック (1994年没)
- ジョヴァンニ・スパドリーニ (1994年没)
- Harald Christensen (1994年没)
- ジョン・ゲイシー (1994年没)
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- フランソワ・ルモワーヌ (1737年没)
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