HISTORICAL PERSON · 1994年没

チャールズ・ブコウスキー

ドイツ生まれで米国ロサンゼルスに育った作家・詩人。幼少期に父から虐待を受け、大学中退後は雑仕事をしながら放浪した。

生涯
1994年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / サンペドロ)
出生地
ドイツ連邦共和国(アンダーナッハ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ヘンリー・チャールズ・ブコウスキーは、1920年8月16日にドイツのアンダーナッハで生まれ、1994年3月9日に没したアメリカの作家、詩人である。ドイツ人の母カタリーナと、ポーランド系アメリカ人の軍人だった父ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー・シニアの子で、第一次世界大戦後のドイツの経済崩壊により、1923年に一家はアメリカ合衆国のメリーランド州ボルチモアへ移り、のちにロサンゼルスに転居した。幼いころはしばしば失業していた父から虐待を受けていた。1933年には中学校を休学して痤瘡の治療を受けた。1939年にロサンゼルス・ハイスクールを卒業し、シアーズ・ローバックに就職したがすぐに辞め、ロサンゼルス・シティー・カレッジで芸術、ジャーナリズム、文学の課程を履修した。

1941年に大学を中退してロサンゼルスを離れ、雑用をしながら各地を放浪した。1944年にニューヨークへ移って本格的に創作を始め、雑誌『ストーリー』に短編が掲載されたが、文芸エージェントの申し出は断っている。それでも1946年には作家になる夢をあきらめ、のちに十年近く同棲することになるジェーン・C・ベイカーと出会った。1952年から1955年までは郵便局で配達員として働いた。長年の大量の飲酒がたたって、1955年に出血性の潰瘍で入院し、退院したころからまた詩を書き始めた。1957年10月には雑誌『ハーレクイン』の編集者バーバラ・フライと結婚したが、翌年3月に離婚した。この年には両親が相次いで亡くなり、創作活動を再開した。ロサンゼルスの郵便局で事務員として勤め、1959年に亡くなったベイカーの葬儀代を負担したという。

1960年に最初の詩集を刊行し、1964年には内縁の妻フランシス・スミスとのあいだに娘マリナが生まれた。1966年からロサンゼルスの地下新聞『オープン・シティ』にコラムを連載し、1969年にそれが『ブコウスキー・ノート』としてポルノ専門の出版社から出て、最初の商業的成功を得た。1970年、ブラック・スパロー・プレスのジョン・マーティンから「生涯毎月100ドル」の俸給を約束され、1月2日に郵便局を退職した。以後の主要な作品のほとんどが同社から出版された。翌1971年には、マーティンの求めに応じて、長編『ポスト・オフィス』を二週間で書き上げた。

1973年には公共放送でドキュメンタリー番組『ブコウスキー』が放映され、1974年には全米芸術基金から助成金を受けた。1975年の長編『勝手に生きろ!』は二十代の放浪生活を描き、1978年には長編『詩人と女たち』を出した。長編は『パルプ』を除いて自伝的な内容が多く、主人公はヘンリー・チナスキーという分身的な存在である。一方、作者が実名で登場する作品も多い。作品はのちに映画化され、自身が脚本を書いた『バーフライ』も公開された。敬愛する作家にはセリーヌ、ジョン・ファンテ、ツルゲーネフ、ヘミングウェイなどがいる。1985年にはリンダ・リー・ベイルと結婚した。1994年3月9日、カリフォルニア州サンペドロで白血病により亡くなった。遺作『パルプ』を完成させた直後のことであった。墓には「やめておけ」を意味する言葉が刻まれている。

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