伝記
メルヴィン・エリス・カルヴィンは、1911年4月8日にアメリカ合衆国ミネソタ州セントポールで生まれた化学者である。両親は、当時のロシア帝国の領内にあたる現在のリトアニアやグルジアの出身とされるユダヤ系の移民だった。幼いころに一家はミシガン州デトロイトへ移り、両親が食料品店を営んで生計を立てた。少年は店の棚に並ぶあらゆる商品をのぞき込んでは好奇心を満たしていたという。1928年にセントラル高校を卒業すると、ミシガン鉱山工科大学(現ミシガン工科大学)に進み、同校で初めて化学の学士号を得た。
1935年にミネソタ大学で博士号を得た。指導を受けたのはジョージ・グロッカーで、論文はハロゲンの電子親和力を扱っている。その後はマンチェスター大学のマイケル・ポランニーの研究室に博士研究員として迎えられ、有機分子の構造と挙動を研究した。1942年にはジェネヴィーヴ・ジェムテガードと結婚し、二人の娘と一人の息子をもうけた。
1937年にカリフォルニア大学バークレー校に講師として加わった。マンチェスターを訪れた同大学放射線研究所の所長ジョエル・ヒルデブランドに招かれたもので、化学科が25年以上ぶりに迎えた、バークレー出身でない人物だったという。ヒルデブランドは放射性炭素の研究を進めるよう促した。カルヴィンの研究の出発点は、1940年にマーティン・ケイメンとサム・ルーベンが見いだした、寿命の長い放射性同位体の炭素14だった。1947年に化学の教授に昇進し、ローレンス放射線研究所の生物有機化学グループの責任者となった。このチームにアンドリュー・ベンソンやジェームズ・バッシャムらが加わり、ベンソンは光合成の研究室の立ち上げを任された。目的は、光合成における炭素固定の経路を明らかにすることだった。
炭素14をトレーサーとして使い、カルヴィンらは、大気中の二酸化炭素が吸収されて炭水化物やほかの有機物に変わるまで、炭素が植物の中を移動する完全な経路を描き出した。この回路はカルヴィン・ベンソン回路、またバッシャムを加えてカルヴィン・ベンソン・バッシャム回路とも呼ばれ、多くの人が貢献した発見だが、最終的にチームを率いたのはカルヴィンだった。「植物における二酸化炭素同化の研究」により、1961年にノーベル化学賞を受賞した。研究は光エネルギーが化学エネルギーに変わる仕組みの解明に大きく寄与した。
1963年には分子生物学の教授の肩書きが加わり、円形の建物「ラウンドハウス」に入る化学生物動力学研究所の創立者かつ所長となって、1980年に引退するまでバークレー放射線研究所の副所長も務めた。この円形の研究室は学生や客員研究者の協力を促すために設計され、世界中から博士研究員や客員科学者を迎え、彼は「ミスター光合成」と呼ばれた。研究の最後の年には、再生可能資源として油を作る植物の利用を研究し、生物の化学的進化を主題とした本を1969年に出版した。有機地球化学、発癌の化学、月の石の分析にも取り組んだ。ケネディ、ジョンソン両大統領のもとで科学諮問委員会などの顧問を務め、アメリカ科学アカデミーに選ばれ、日本学士院などにも名を連ねた。1964年に王立協会のデービーメダル、1978年にプリーストリー賞、1989年にアメリカ国家科学賞を受け、1997年1月8日に没した。
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