伝記
ジョン・デンバーは、1943年12月31日に生まれ、1997年10月12日に没したアメリカ合衆国のシンガーソングライターである。本名はヘンリー・ジョン・ドイチェンドルフ・ジュニアといい、芸名の「デンバー」は、彼がこよなく愛したコロラド州の州都にちなんで付けたものである。「故郷へかえりたい」(邦題「カントリー・ロード」)、「悲しみのジェット・プレーン」、「太陽を背にうけて」など数多くのヒット曲を生み、1970年代のポップ・カントリー界を代表する存在だった。
ニューメキシコ州ロズウェルで、ドイツ系の厳格な父の長男として生まれた。父が空軍のパイロットだったため引っ越しを繰り返し、友達を作りにくい少年期だったが、アリゾナ州では少年合唱団に2年間在籍して幸せな日々を過ごした。11歳のとき、音楽好きの母方の祖母からアコースティック・ギターを贈られた。その後アラバマ州、次いでテキサス州フォートワースに移り、高校3年のとき父の車でカリフォルニア州の知人を訪ね、音楽活動を始めた。父がジェット機で連れ戻しに現れたため復学して卒業し、テキサス工科大学で建築学を学んだが、1963年に中退してロサンゼルスへ移り、歌って暮らした。1965年にフォーク・グループに加わり、トリオを抜けた1966年には、ビートルズらのカバーを含むアルバムを自主制作した。その中の「悲しみのジェット・プレーン」は、ピーター・ポール&マリーのアルバムに収められ、シングルが全米のヒット・チャートで1位となった。
1969年10月にRCAレコードからデビュー・アルバムを出し、1971年4月発表の「故郷へかえりたい」は全米2位の大ヒットとなった。この曲は、ニューヨークのビルの地下室で作ったもので、バージニア西部の風景を想像で歌ったにすぎなかったが、ファンから「すてきな風景の場所を教えてくれてありがとう」という手紙が相次いだという。オリビア・ニュートン=ジョンのカバーは1976年、日本のオリコン洋楽チャートで1位となった。1973年の「太陽を背にうけて」は、翌年初めに全米1位になった。1974年の「緑の風のアニー」は最初の妻に捧げた歌で、全米1位を2週間記録した。一方、「ロッキー・マウンテン・ハイ」は、題の「ハイ」が薬物を連想させるとして多くの放送局が放送を禁じ、1985年に彼は議会で釈明した。この曲は2007年、コロラド州の公式の州歌と認められた。
1976年にはコロラド州スノーマス近郊にニューエイジ村を作り、合気道や瞑想に励み、将来自分が大統領になると信じて暮らしたとされる。同年の大統領選では民主党のカーターを応援した。1977年には世界の飢餓に取り組む組織の創設者の一人となり、死去まで支え続けた。1985年にはアメリカ航空宇宙局の民間人宇宙飛行計画の体力試験に合格したが、最終選考で落ちた。1994年の自伝では、自らの薬物使用、不倫、元妻への暴力を語った。妻アニーとは1982年に離婚しており、暴力が原因とも伝えられる。
飛行を愛し、複数の飛行機を所有していた。1997年10月12日、全米ツアーを終えて過ごしていたカリフォルニアで、自ら操縦するプロペラ機が墜落して亡くなった。機体への不慣れが原因とされる。遺体は損傷が激しく、指紋で身元が確認された。子は3人で、葬儀はコロラド州で営まれた。
同じ年に亡くなった人物
- スタンレー・シャクター (1997年没)
- ジョン・アキ=ブア (1997年没)
- リンダ・スターリング (1997年没)
- 松丸貞一 (1997年没)
- エドワード・マルヘアー (1997年没)
同じ地域に関係する人物
- アレックス・ハナム (2002年没)
- シンシア・ワイル (2023年没)
- ストローザー・マーティン (1980年没)
- ボブ・ヘイスティングス (2014年没)
- ギア・スカラ (1972年没)