伝記
フローレンス・デロレス・グリフィス=ジョイナーは、1959年12月21日にアメリカのロサンゼルスで生まれた陸上競技選手で、愛称はフロ・ジョーである。電気技師の父と裁縫師の母のもとで11人きょうだいの7番目として生まれ、一家はカリフォルニア州リトルロックで暮らしたのち、母が子どもたちを連れてロサンゼルスのワッツ地区にある公営住宅へ移った。小学生のころシュガー・レイ・ロビンソン協会に入って週末の大会を走り始め、14歳と15歳でジェシー・オーエンス全国青少年大会を連覇した。高校時代は短距離と走り幅跳びで好成績を収め、高校記録も作った。ファッションにも早くから関心があり、陸上部の仲間を説得して、ユニフォームの下にタイツをはかせたという。
1978年にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に入学して陸上部で活躍し、コーチはボブ・カーシーだった。しかし家計を支えるために中退して銀行員となる。カーシーが奨学金を探して、1980年に彼が指導するカリフォルニア大学ロサンゼルス校に転入した。同年のモスクワ五輪の代表選考会では100mの決勝に進んだが、アメリカ政府が大会のボイコットを決めていたため、五輪には出られなかった。1983年に心理学の学位を得て卒業し、同じ年の第1回世界選手権では200mで4位に入った。エベリン・アシュフォード、アリス・ブラウンらの陰に隠れた存在だったが、1984年のロサンゼルス五輪では、有力だったアシュフォードが怪我で200mを欠場したこともあり、同種目で銀メダルを獲得した。金メダルは同じ米国のバレリー・ブリスコ=フックスだった。ただし世間の人気や評価は今ひとつで、スポンサーもつかず、銀行員に戻った。ファッションやネイルを学び、1985年以降は競技会に時々出る程度になった。1987年にはロサンゼルス五輪の三段跳金メダリスト、アル・ジョイナーと結婚している。
1987年春に競技へ復帰し、同年夏の世界選手権では200mで2位となった。翌1988年の全米五輪選考会の準々決勝の第1レースで、100mを10秒49で走り、従来の記録を0.27秒も上回る世界記録を出して周囲を驚かせた。ただし、同日の他の競技では追い風参考記録が多く、彼女のレースでは風速0.0mとされたが、当時の風速計が故障していたとも言われている。ソウル五輪では100m、200m、リレーで金メダルを獲得して3冠を達成した。200mの21秒34とともに、この記録は今も破られていない。長く伸ばして鮮やかに塗った爪と、長い髪、個性的な衣装で話題を呼んだ。五輪直後にスーパー陸上のために来日して優勝し、1989年2月に突然の引退を表明した。のちにデザインの仕事や演技にも取り組み、NBAのインディアナ・ペイサーズが1990年から着用したユニフォームも手がけた。また、日本テレビのスペシャルドラマで松田優作と共演したこともある。夫アルの妹は七種競技や走り幅跳びで活躍したジャッキー・ジョイナー=カーシーで、彼女の義妹にあたる。
急激な体つきの変化と成績の向上から、ステロイドや成長ホルモンの使用をめぐる噂や非難を受けたが、薬物検査にはすべて合格していた。1998年9月21日、カリフォルニア州の自宅で眠っている間に38歳で亡くなった。調査では、死因は脳血管の先天性の奇形が引き起こした重い癲癇の発作による窒息死とされた。
同じ年に亡くなった人物
- ジェーン・ベル (1998年没)
- Ernest Peirce (1998年没)
- Charles Korvin (1998年没)
- フィル・リーズ (1998年没)
- ノルベルト・ドロテオ・メンデス (1998年没)
同じ地域に関係する人物
- ウィリアム・パトリック・クラーク (2013年没)
- Rod Roddy (2003年没)
- ディック・ヴァン・パタン (2015年没)
- スペンサー・ドライデン (2005年没)
- ロトフィ・ザデー (2017年没)