伝記
フランシス・アルバート・シナトラ、通称フランク・シナトラは、1915年12月12日、ニューヨーク市近郊のニュージャージー州ホーボーケンに、イタリア系アメリカ人のアンソニー・マーティン・シナトラとドリーの長男として生まれた。難産で、鉗子のために鼓膜が破れており、このことが歌手としての経歴にも様々な形で影響したという。父はニューヨークの消防局に勤め、母は助産婦として収入があったため、大恐慌の時代にも恵まれた少年期を送った。1930年代初頭、ラジオで人気を得ていたビング・クロスビーの歌声に憧れて歌手を志し、マイクを使うことで大声を出さずに情感を込めるクルーナーの歌い方を身につけていった。
1935年、20歳のときに地元のイタリア人ボーカルトリオに加わり、「ホーボーケン・フォー」としてラジオに出演し、全米を巡業した。バーのラウンジで歌っていたところを見出され、1939年にはトランペット奏者ハリー・ジェイムスの楽団の専属歌手としてプロデビューした。同年、4年間の交際を経て幼友達のナンシー・バルバトと結婚している。ニューヨークで正式に歌を学び、ラジオ番組に多数出演してファンを増やし、1940年にトロンボーン奏者トミー・ドーシーの楽団に移籍した。ドーシーの滑らかなトロンボーンを研究して自らの歌い回しに取り入れ、マイクをスタンドから外して歌うなど、マイクを自分の楽器とした。10代の女性を中心に人気を決定的にし、映画にも出演するようになった。
第二次世界大戦では兵役を志願したが、鼓膜の傷のために不合格となった。そのため慰問部隊の一員として各地の基地や前線を回り、戦時公債のキャンペーンにも出た。若々しい歌声で10代の少女たちのアイドルとなる一方、徴兵される年代の男性の間では人気が低く、劇場の看板の顔写真に卵をぶつけられることもあったという。1940年代後半には人気が落ち、芸能記者を殴って罰金を命じられるなどのトラブルも重なった。1950年には喉の疾患で一時声が出なくなり、女優エヴァ・ガードナーとの恋愛が大きなスキャンダルとなって、映画会社やレコード会社からも見放された。黒人への差別に批判的な立場をとったことから、赤狩りの時代には容共的だと疑われたが、疑いは晴れた。1951年にナンシーと離婚してエヴァと結婚した。
1953年、フレッド・ジンネマン監督の『地上より永遠に』で、イタリア系の兵士マッジオ役に抜擢された。出演料は安く、脇役だったが、役にほれ込んで運動し、アカデミー賞助演男優賞を獲得して、俳優として復活を果たした。1957年にエヴァと離婚し、1961年に自分のレーベルを設立した。1966年に女優ミア・ファローと結婚して1968年に離婚し、1971年に引退を発表したが、1973年にアルバムで復帰した。1976年にはゼッポ・マルクス(マルクス兄弟の末弟)の元妻バーバラと結婚した。1985年に大統領自由勲章を受け、1998年5月14日、多臓器不全のため82歳で亡くなった。デビュー期からマフィアとの深い関係がたびたび取りざたされたが、「ザ・ヴォイス」の名で呼ばれ、ビング・クロスビーやエルヴィス・プレスリーらと並ぶ20世紀のアメリカを代表するエンターテイナーの一人である。「Q誌」が選んだ史上最も偉大な100人のシンガーでは第3位とされた。
同じ年に亡くなった人物
- フリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ (1998年没)
- ルチオ・バッティスティ (1998年没)
- フリッツ・ブークロー (1998年没)
- ジェームズ・アール・レイ (1998年没)
- Vida Tomsic (1998年没)
同じ地域に関係する人物
- セオドア・ロバーツ (1928年没)
- エタ・ジェイムズ (2012年没)
- ジャネット・ランキン (1973年没)
- フランク・ゴーシン (2005年没)
- ドナルド・ウッズ (1998年没)