伝記
ベンジャミン・マクレーン・スポックは、1903年5月2日に生まれ、1998年3月15日に没したアメリカの小児科医である。「スポック博士」の名で広く知られ、ボート競技のオリンピックのメダリストでもあり、ベトナム戦争に反対した平和運動家・左派の活動家としても活動した。1946年に出版された育児書は、世紀を代表するベストセラーの一つとなった。
コネチカット州ニューヘイブンに、イェール大学出身でニューヘイブン鉄道の顧問弁護士を長く務めたベンジャミン・アイブズ・スポックと、ミルドレッド・ルイーズ(ストートン)の子として生まれた。家名はオランダ系で、もとは「スパーク」と綴っていたという。6人きょうだいの1人で、妹には環境問題の著述家マージョリー・スポックがいる。ハムデン・ホール・カントリー・デイ・スクールに通い、父の母校でもあるフィリップス・アンドーヴァー・アカデミーを経て、イェール大学に進んだ。同大学では文学と歴史を学び、身長が6フィート4インチと長身で、ボートに打ち込んだ。1924年のパリ・オリンピックでは、ボート競技のエイトの一員として金メダルを獲得している。イェール大学の医学部に2年在籍したのち、コロンビア大学の内科外科大学に移り、1929年に首席で卒業した。1927年には、のちに育児書の調査と執筆を助けることになるジェーン・チェイニーと結婚していた。コーネル大学付属病院で小児科医を務めた。精神分析を学んだ最初の小児科医とされ、子どもの要求や家族の力学を理解しようとした。
1946年、最初は『常識の育児書』という題で刊行された『スポック博士の育児書』は、刊行から6か月で50万部が売れ、のちには42か国語に訳されて世界で5000万冊を超えた。聖書の次に売れたとも言われる。「自分を信じてください。あなたは自分が考えるよりはるかに多くのことを知っているのです」という母親への言葉は有名である。泣いても即座に抱き上げないという、厳しさとしつけを重んじる子育ての考え方とは違い、乳児とのスキンシップと愛情を示すことの重要性を説いた。ただし、添い寝は否定している。一方で同業者からは、体験談に頼りすぎて学術的な研究が乏しいという批判も受けた。保守派からは、甘やかしと即座の満足を期待する風潮を広めたと非難されたが、本人は否定した。
1960年代から70年代初めにかけては、社会主義への「転向」を語り、新左翼とベトナム戦争反対の運動で活動した。1968年5月、ウィリアム・スローン・コフィンら5人とともに徴兵拒否の教唆扇動罪で起訴され、同年7月10日に有罪とされたが、控訴審で無罪となった。1972年には人民党の候補として大統領選挙に立候補して落選した。1976年にジェーンと離婚して、メアリー・モーガンと結婚した。晩年は、1992年に病気を患い、マクロビオティックの久司道夫に食事の指導を求め、ベジタリアンになって健康を回復した。その後、育児書に牛乳や肉を勧める内容があることを改め、牛乳は不要だとする医師団の発表に加わった。1998年に出た第7版では、2歳を過ぎれば乳製品は要らず、植物性の食べ物だけをとる内容にして論争を呼んだ。同年、カリフォルニア州サンディエゴ近郊の自宅で、癌のため死去した。
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