HISTORICAL PERSON · 1999年没

ピート・コンラッド

アメリカの宇宙飛行士。ジェミニ5号や11号、スカイラブ2号に参加し、アポロ12号で月面を歩いた史上3人目の人物となった。

生涯
1999年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / オーハイ)
出生地
アメリカ合衆国(フィラデルフィア)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

チャールズ・ピート・コンラッド・ジュニアは、1930年6月2日にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、1999年7月8日に亡くなったアメリカ合衆国の宇宙飛行士、技術者である。月面を歩いた史上3人目の人物であり、月面で初めてダンスを踊った人物だと自称していた。ジェミニ5号、ジェミニ11号、アポロ12号、スカイラブ2号の各ミッションに参加した。

銀行業と不動産業を営む裕福な家庭の第三子、長男に生まれた。母は初めての息子にピーターという名を望み、父は自分の名を与えたがったため、出生証明書にはチャールズ・コンラッド・ジュニアと書かれたが、皆は「ピーター」と呼んだ。「ピート」の呼び名は、21歳のとき婚約者の父が使い始め、本人もそれを用いるようになった。世界恐慌で資産の大部分を失った一家は、1942年に邸宅を手放し、母の兄の家賃援助を受けて小さなキャリッジ・ハウスに移り、破産した父は家を出た。

聡明な少年だったが、当時あまり認識されていなかったディスレクシアを抱え、学業に苦しんだ。私立のハヴァーフォード・スクールには伯父の援助で通ったものの、11年生の試験の大半に落第して放校となった。息子が知力で劣ると信じなかった母は、ニューヨーク州のダロー・スクールに通わせた。ここで順を追って学ぶ方法を身につけ、ディスレクシアとの付き合い方を見つけて、極めて優秀な成績で1949年に卒業し、プリンストン大学への入学と海軍の奨学金を得た。15歳のころからパオリ飛行場で雑用をして飛行機に乗せてもらい、16歳のときには、緊急着陸した教官の飛行機を自力で修理したことがきっかけで、飛行士免許のための正式な訓練を受けた。1953年に航空工学を修めて大学を卒業し、海軍に入って艦載機パイロットとなり、のちにテストパイロットも務めた。

最初のアメリカ航空宇宙局への応募では、ラブレース・クリニックの検査に反抗的な態度を取り、「長期の飛行には不適」との但し書きつきで却下されたという。その後、海軍時代からの知己アラン・シェパードに勧められて再び応募し、1962年9月17日に第2期の宇宙飛行士に採用された。ジェミニ5号ではゴードン・クーパーとともに飛行し、8日間に近い宇宙滞在の新記録を樹立した。ジェミニ11号では機長となり、軌道に入るとすぐ手動で標的機とのドッキングを行った。

1969年11月、機長としてアポロ12号に乗り込み、ディック・ゴードン、アラン・ビーンとともに月へ向かった。打ち上げは雷雨の中だった。月面に降り立つと「ニールにとっては小さな一歩だったらしいが、俺にとっては大きな一歩だ」と言ったが、これは身長169センチと宇宙飛行士の中でも小柄な自分をかけた冗談で、打ち上げ前から決めていた言葉だったという。最後のミッションはスカイラブ2号で、打ち上げ時の事故で破損した部分の修理にあたり、宇宙遊泳をして太陽電池を引っ張り出し、位置を直した。1973年に同局と海軍を退職し、のちにマクドネル・ダグラスで働いて、DC-Xの地上テストにもパイロットとして携わった。

1999年7月8日、月面着陸30周年の約3週間前に、カリフォルニア州オーハイで友人とオートバイで走行中に道を外れて衝突し、約6時間後に内出血で死去した。多くのアポロ宇宙飛行士が立ち会う中、アーリントン国立墓地に葬られた。

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