伝記
グレン・セオドア・シーボーグは、1912年4月19日、アメリカのミシガン州イシュペミングで生まれた化学者・物理学者である。家ではスウェーデン語が話されていた。2歳下の妹ジャネットがいる。少年時代に一家はカリフォルニア州ロサンゼルス郡に移り、サウスゲート市に併合された住宅地ホーム・ガーデンズに落ち着いた。11歳のとき、名の綴りの末尾にnをもう一つ足す形に改めたという。1927年から、1998年に脳卒中で倒れるまで日記をつけ続けた。若いころはスポーツと映画が大好きで、母は文学好きの息子に実用的な簿記係の道を勧めたが、科学に関心を持ったのは高校3年のときで、ジョーダン高校の化学・物理の教師ドワイト・ローガン・リードに感化されたことによる。
1929年に首席でジョーダン高校を卒業し、荷役人夫や実験助手として働いて学費をまかない、1933年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で化学の学士号を得た。1937年にはカリフォルニア大学バークレー校で化学の博士号を取り、論文では「核破砕」という語を作った。大学院生のころは、指導教官ギルバート・ニュートン・ルイスの下で酸と塩基の理論の論文を書き、オットー・ハーンの『応用放射化学』を読んで、研究者としての関心を大きく左右された。バークレーのローレンス・サイクロトロンを用いて人工放射能の研究を行い、核分裂が可能だと知ったときは、自分の研究が同じ発見に至っていたかもしれないと悔しがったという。
加速器を使って多くの新元素を見つけたことで知られ、アクチニウムに始まる元素を「アクチノイド系列」と名づけた。プルトニウム、アメリシウム、キュリウム、バークリウム、カリホルニウム、アインスタイニウム、フェルミウム、メンデレビウム、ノーベリウム、それに106番元素の発見に主役または共同発見者としてかかわった。マンハッタン計画では、原子爆弾に使うプルトニウムを分離する抽出法の開発に携わった。超ウラン元素の合成と研究の功績により、1951年のノーベル化学賞をエドウィン・マクミランとともに受賞した。1965年には、安定な超重元素が存在しうるという「安定の島」を唱え、1980年には共同研究者とともに、ビスマスを金に変えることにも成功した。炭素やネオンの原子核をビスマスの箔にぶつけ、金のさまざまな同位体ができるのを確かめたのである。
バークレーでは教授を務め、1958年から1961年まで2代目の学長となった。1961年から1971年までアメリカ原子力委員会の委員長を務め、トルーマンからクリントンまで10人の大統領に核政策を助言したとされる。軍備管理にも尽くし、部分的核実験禁止条約などの成立に貢献した。原子番号106の元素は彼にちなんでシーボーギウムと名づけられ、存命の人物の名がつけられた初の例となった。本人はこれを、ノーベル賞より大きな栄誉だと述べたという。科学教育と、基礎研究への連邦政府の資金提供を強く訴え、レーガン大統領の教育の卓越性に関する委員会の委員として、1983年の報告書にも深く寄与した。約50の名誉博士号を受け、論文は500編に及び、アメリカの人名事典で最も長い項目を持つ人物として世界記録の本に載ったこともある。1999年2月25日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
- エレン・コービー (1999年没)
- エドゥアール・ブバ (1999年没)
- セルゲイ・フレーブニコフ (1999年没)
- ロデリック・ソープ (1999年没)
- ボブ・ペック (1999年没)
同じ地域に関係する人物
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- Lamont Bentley (2005年没)
- リチャード・リバティーニ (2016年没)
- アレックス・ロッコ (2015年没)