HISTORICAL PERSON · 1999年没

ウィルト・チェンバレン

アメリカの元プロバスケットボール選手。身長216cmの体格で、得点王7回、リバウンド王11回、シーズンMVP4回など多数の記録を残し、1979年に殿堂入りした。

生涯
1999年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
アメリカ合衆国(フィラデルフィア)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ウィルトン・ノーマン・チェンバレンは、1936年8月21日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれたプロバスケットボール選手である。身長216センチメートル、体重125キログラムという当時では破格の体格と並外れた身体能力を武器に、1960年代から1970年代にかけてNBAのトップクラスの選手として君臨した。得点とリバウンドで史上類を見ない才能を示し、今も破られていない数多くのリーグ記録を保持する。得点王7回、リバウンド王11回、センターとしては極めて珍しいアシスト王1回、シーズンMVP4回、ファイナルMVP1回に輝き、1979年に殿堂入りして、NBA50周年記念のオールタイムチームにも選ばれた。背番号13は、カンザス大学やハーレム・グローブトロッターズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、フィラデルフィア・76ers、ロサンゼルス・レイカーズで永久欠番となっている。

幼いころは肺炎で死にかけるほど病弱で、学校を丸一年休んだこともあった。少年時代にはバスケットボールを弱虫のするゲームと嫌い、陸上競技に熱中して、走り高跳びで198センチ、440ヤード走で49秒、砲丸投げで16.3メートルという好記録を残している。しかしフィラデルフィアはバスケットボールが盛んな町で、次第にこの競技に傾いていった。10歳のころには身長が183センチ、オーバーブルック高校に入るころには211センチと急速に伸び、本格的に始めたのは12歳のときだった。

高校では1953年のシーズンからエースとなり、平均31得点でパブリックリーグの優勝に導いた。1954年のシーズンには1試合71得点を記録して校内の新記録をつくり、平均40得点を挙げて、前年に敗れたサウスカトリック高校を74対50で破り、19戦全勝を果たした。1955年のシーズンには3試合連続で74得点、78得点、90得点を挙げ、90得点の試合では60得点をわずか12分で稼いだ。この年にオール・アメリカチームにも選ばれ、高校在学中の通算は2252得点、平均37.4得点と、往年の名選手トム・ゴーラが持っていた校内記録を破った。このころのあだ名が、ひょろ長い風貌からついた「ウィルト・ザ・スティルト」(竹馬ウィルト)で、本人は好まなかったが使われ続けた。もう一つは、ドアをくぐるとき頭をかがめる動作から生まれた「ディッパー」で、のちに「ザ・ビッグ・ディッパー」(北斗七星)となった。

のちの名コーチ、レッド・アワーバックは、チェンバレンが高校生のころから才能に目をつけ、当時の大学王者カンザス大学のスターだったB・H・ボーンと1対1をさせたところ、25対10で完勝したという。進路をめぐっては200以上の大学が勧誘に動き、勧誘合戦は加熱したが、最終的に選んだのはカンザス大学だった。

大学では1年生のチームが上級生のチームに勝ち、チェンバレンは52得点、29リバウンドを記録した。1956年12月3日の公式デビュー戦では52得点、31リバウンドを挙げた。1957年の全米大学選手権ではノースカロライナ大学と決勝で対戦し、徹底したトリプルチームに苦しんで、3度の延長の末に惜敗した。1958年に大学を去り、5万ドルの契約でハーレム・グローブトロッターズに入団し、1959年のソ連ツアーにも加わった。1959年のドラフトでフィラデルフィア・ウォリアーズに地域指名され、新人の年から1試合平均37.6得点を記録し、得点王、リバウンド王、オールスターMVP、新人王、シーズンMVPの五冠を達成した。1999年10月12日に死去した。

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