伝記
サー・ジョン・ギールグッドは、1904年4月14日、ロンドンのサウス・ケンジントンに生まれたイギリスの俳優、演出家である。父フランク・ヘンリー・ギールグッドは、生涯をロンドンのシティで株式仲買人として過ごし、母ケイトはテリー家の出だった。四人の子の三番目で、三人の男の子の末っ子にあたる。兄のルイスは赤十字やユネスコの高官になり、ヴァルはBBCのラジオドラマの草分けとなった。姉妹のエレノアは、長年ジョンの秘書を務めた。
父方は、ポーランド系かつリトアニア系の家柄である。元の姓はギェウグトといい、現在のリトアニア西南部の町ゲルガウディシュキスに由来する。一族はこの地を所有するポーランド=リトアニア共和国の貴族だったが、1830年から31年にかけてのロシア支配への蜂起に加わって失敗し、領地を没収された。親類には、ナポレオン戦争時代のワルシャワ公国の将軍イグナツィ・ギェウグトや、11月蜂起でポーランド軍を指揮したアントニ・ギェウグトらがいる。母方は舞台一家のテリー家である。母の母は女優のケイト・テリーで、その妹エレン・テリーは、イギリスの国民的女優として長く舞台に立った。
8歳の1912年にサリー州の予備校ヒルサイド校に入り、兄たちと同じ道を歩んだ。この学校で演劇への関心を育まれ、『ジュリアス・シーザー』のアントニーや『ヴェニスの商人』のシャイロックなど、学校劇の主役を何度か演じた。兄たちは奨学金を得てイートン校とラグビー校に進んだが、彼は奨学金を得られず、ウェストミンスター校に寄宿生として入った。のちに語ったところでは、ここでウェスト・エンドの舞台に通うことができ、偉大な演劇の世紀の最後に間に合ったという。
10代で王立演劇学校に学び、1921年に舞台デビューした。1922年には、従姉妹の女優フィリス・ニールソン=テリーの一座で、初めて報酬を得る仕事に就いたとされる。レパートリー劇団やウェスト・エンドで経験を積み、1929年から1931年にかけてオールド・ヴィック座でシェイクスピア役者としての地位を築いた。1930年代にはウェスト・エンドとブロードウェイで人気の舞台俳優となり、自らの劇団も作って演出に乗り出した。ハムレット役では当代随一と評され、『まじめが肝心』のジョン・ウォージング役のような高級喜劇でも知られた。声の美しさとシェイクスピアの韻文の巧みさは、キャリアの初めから評判だった。ラルフ・リチャードソン、ローレンス・オリヴィエとともに、20世紀の英国演劇を支配した三人の俳優とされる。1953年にナイトに叙せられた。
1950年代には、同性愛に関わる罪で有罪となり罰金を科されて、経歴の危機を恐れたが、同僚や観客の支持を得た。1960年代に入ると、アラン・ベネットやハロルド・ピンターらの新しい作品に出会い、映画でも存在感を増した。1964年の『ベケット』でフランス王ルイ7世を演じて、アカデミー賞助演男優賞に初めてノミネートされ、1981年の『ミスター・アーサー』では辛辣な執事ホブソンを演じて同賞を受賞した。ライフワークはシェイクスピアの『テンペスト』を掘り下げた『プロスペローの本』のプロスペロー役で、ピーター・グリーナウェイが1991年に同名の映画にした。1994年に高松宮殿下記念世界文化賞を受け、同年ウェスト・エンドの劇場に彼の名がつけられた。2000年5月21日、バッキンガムシャーのウォットン・ハウスで没した。
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