HISTORICAL PERSON · 2000年没

マイケル・スミス (化学者)

イギリス生まれのカナダの化学者。部位特異的突然変異法の確立で1993年のノーベル化学賞を受賞し、大学の研究所に名が付けられた。

生涯
2000年没
死亡地
カナダ(ブリティッシュコロンビア州 / バンクーバー)
出生地
イギリス連邦(ブラックプール)
出典
世界地図
カナダ(ブリティッシュコロンビア州)

伝記

マイケル・スミスは、1932年4月26日にイングランドのランカシャー州ブラックプールで生まれた、イギリス生まれのカナダ人の化学者である。生化学者や実業家とも紹介される。最初は国の運営する小学校に通ったが、当時のイギリスでは公立学校から上の学校へ進む子は少なく、イレブン・プラスの試験で好成績を収めた彼は例外だった。奨学金でアーノルド・スクールに進み、さらに奨学金を得てマンチェスター大学で化学を学んだ。工業化学に関心を持ち、学士号を取ったのち、ジオールの立体化学の研究で1956年に博士号を得た。同じ1956年にカナダへ移住し、1963年にカナダ市民権を得ている。

研究者としての出発は、バンクーバーにあるブリティッシュコロンビア研究評議会でのポスドクだった。師のハー・ゴビンド・コラナは、新しいヌクレオチドの合成法を開発していた人である。当時はDNAが細胞の遺伝物質と確認されており、コラナらはDNAがどのように生物を構成するタンパク質を暗号化しているかを調べていた。1960年にコラナがウィスコンシン大学の酵素研究所に職を得ると、スミスも同行したが、数か月後にバンクーバーへ戻り、カナダ漁業調査局の技術研究所で化学部門の責任者となった。ここでは産卵するサケの食性や生き残り方、サケを生まれた川へ導く匂いの刺激の研究にも携わったが、主な関心は核酸の合成であり続けた。並行してブリティッシュコロンビア大学の生化学科の准教授、動物学科の名誉教授を兼ね、1966年に同大学の医学部の生化学の教授に任じられた。

関心の中心は、オリゴヌクレオチドの合成とその性質の解明にあった。1975年から1976年にかけて、イギリスの医学研究会議の分子生物学研究所でフレデリック・サンガーのもとに滞在し、遺伝子とゲノムの構造や、大きなDNAの配列決定の研究の最前線に立って、世界有数の分子生物学者となって戻った。ウイルスのゲノムの任意の場所に変異を作れるのではないかという理論を立て、チームで検討し、1977年に確かめた。1978年には、サンガーのもとで同じ時期を過ごしたクライド・ハッチソン三世と協力し、オリゴヌクレオチドを用いる部位特異的突然変異法を分子生物学に導入した。これは、一つの変異した遺伝子の影響を効率よく調べるという難題を解く方法であり、合成したDNAで遺伝子の狙った部位に変異を入れ、タンパク質分子を比較して、最初の変異の働きを明らかにできた。

1986年に王立協会のフェローに選ばれ、ガードナー国際賞を受けた。1987年にはブリティッシュコロンビア大学のバイオテクノロジー研究室の責任者となった。1993年に、この業績により、キャリー・マリスとともにノーベル化学賞を受賞した。1994年にカナダ勲章を受け、ブリティッシュコロンビア勲章も授与されている。私生活では、1960年にヘレン・ウッド・クリスティと結婚して三人の子を得たが、1983年に別居し、晩年はエリザベス・レインズとバンクーバーで暮らした。2000年10月4日に没した。2001年に健康学の研究基金が設立され、2004年には同大学のバイオテクノロジー研究所がマイケル・スミス研究所と改称された。

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