伝記
フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーは、1928年12月15日にウィーンで生まれ、2000年2月19日に亡くなったオーストリアの芸術家、画家、建築家である。本名はフリードリヒ・シュトーヴァッサーで、環境問題にも積極的に発言した。日本語での号は姓を直訳した「百水」で、色鮮やかな外見と、自然と調和した建築でよく知られる。
ウィーンで、父エルンストとユダヤ系チェコ人の母エルゼのもとに生まれた。幼いころは、森で花を摘んで押し花にするのが好きな少年で、花の色をきれいなまま残したいと絵を描き始めたという。10歳の1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合した。母がユダヤ系であったため母子はユダヤ人街に追いやられ、地下室で暮らしたとされる。夜中に親衛隊の男たちが警報を鳴らし、何度も戸口に来たと、本人は語っている。一方で、母子はキリスト教徒を装って迫害を避け、1935年にカトリックの洗礼を受けたともいわれ、実情は定かでない。
第二次世界大戦後は画家を志し、スケッチブックを手に旅に出た。ウィーン美術アカデミーでは3か月ほど学んだとされ、このころから作品に「シュトーヴァッサー」ではなく「フンデルトヴァッサー」と署名しはじめた。この姓は、スラブ語で100を意味する「ストー」をドイツ語に直したものである。名のフリーデンスライヒは「平和の国」の意があり、ほかに自ら選んだ名にレーゲンターク(雨の日)、ドゥンケルブント(暗い多色)がある。北アフリカでは、床も壁も赤い土でできた伝統的な土の家に惹かれ、自然とともに暮らす生き方に共感した。しかしウィーンに戻ると、戦後の建設ラッシュで角ばった灰色の画一的な建物が並び、それが人を閉じ込める刑務所のように見えて違和感を覚えた。1952年の「血を流す建物」で、四角い高層建築の壁が赤く傷ついたような独特の建物を描き、創作活動を始めた。
やがて作品に渦巻きが現れる。1953年の「円に流れる血 私は自転車を持っている」では曲線が果てしなく続く。一方で、定規で引いたような直線を断固拒否した。「自然の中に唯一存在しないものが直線である」と述べ、直線に基づく社会や文化はやがて崩壊すると考えていた。1952年から1953年のウィーンでの展覧会が最初の商業的な成功となり、1968年の「わたしはまだわからない」で世界的な評価を高めた。1950年代初めに建築の分野へ入り、旗や切手、硬貨、ポスターなどの応用美術も手がけた。1983年に考案したコル旗はよく知られ、オーストリア郵便の切手も数多く手がけた。ウィーンのフンデルトヴァッサー・ハウスをはじめ、曲線と植物に覆われた建築を数多く残している。
私生活では、1958年にヘルタ・ライトナーと結婚して2年後に離婚し、1962年には日本人の画家池和田有狐と結婚したが、1966年に離婚した。1982年に娘のハイディが生まれた。1970年代にはニュージーランド北部のベイ・オブ・アイランズに土地を取得して移り住み、ソーラーパネルや水車を使い、ほぼ自給自足で暮らした。日本でも、TBSの「21世紀カウントダウン時計」や、大阪市の舞洲工場などを手がけ、1997年には風呂敷を「美しくて、無駄がない」と賞賛して12種類の絵を描いた。2000年2月19日、太平洋上のクイーン・エリザベス2世号の船上で心臓発作により死去し、遺言のとおり、ニュージーランドの自分の土地のチューリップの木の下に埋葬された。
同じ年に亡くなった人物
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