伝記
ウィリアム・ギルバートは、1544年5月24日、イングランドのエセックスにあるコルチェスターで生まれた。父は自治体の記録官を務めたジェローム・ギルバードである。姓はギルバードと綴られることもあり、コルチェスターにある墓碑銘にはこの綴りが刻まれている。1558年5月にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジへ入学し、1560年に学士、1564年に修士の学位を得て、1569年に医学博士となった。その後の経歴には確かな記録に乏しい時期があり、ヨーロッパ大陸へ旅をしたほか、同カレッジの会計係を短く務めたとされる。1573年ごろにはロンドンで医者として開業し、同年、ロンドンの医師の団体であるカレッジ・オブ・フィジシャンズのフェローに選ばれた。
1600年にはその会長に就任し、1601年から1603年までエリザベス1世の侍医を務め、続けてジェームズ1世の侍医も務めた。侍医としての業績によりナイトに叙せられたという。コペルニクスの地動説を早くから支持し、当時支配的だったアリストテレス哲学と、それに基づく学校教育を積極的に拒絶した。
医師の仕事のかたわら、約20年にわたって磁石を研究した。そこにはロバート・ノーマンの影響があったとされる。研究に5000ポンドもの私財を投じたといわれる。実験によって、地球は巨大な磁石であり、それが方位磁針が北を指す原因であることを示した。それまでは、北極星や、北極にある巨大な磁性を帯びた島が磁針を引き付けると考えられていた。また、鉄が磁石によって磁化されること、磁化された鉄を赤熱すると磁力が失われることも示した。これらの成果を集大成して1600年に出版したのが、『磁石及び磁性体ならびに大磁石としての地球について』である。この著書で、地球の中心が鉄でできていることを正しく指摘し、磁石を切断してもそれぞれの断片がN極とS極を持つ磁石になることなどを記した。
琥珀をこすって静電気を調べ、琥珀を意味するギリシャ語のエレクトロンにちなんで、その力を電気力と呼んだ。ギルバートが1600年に使ったラテン語の新語が元になり、のちにトーマス・ブラウンが1646年に英語の電気という語を初めて使ったとされる。この人物は、摩擦によって目に見えない放出物が取り除かれるとものを引き付けるようになると考え、電荷という考えには至らなかった。回転する針のような検電器ヴェルソリウムを発明し、世界初の電気計測機器とされる。電気と磁気は異なるものだと主張し、熱すると電気の引力は消えるが磁気は消えないと考えたが、実際には磁力も熱で弱まる。それでも両者を明確に区別したことは、その後の科学の進歩に寄与したともいわれる。
惑星の運動を磁気的な引力に起因すると考えたのは、ケプラーなど当時の多くの科学者と同様であった。一方で、星のすべてが磁気の力で回るとするのは無理があるとして、地球が自転していると主張した。1590年代には、望遠鏡を使わず目で見た明暗を図にとどめ、世界初の月面地図を作ろうとした。当時の一般的な考えとは異なり、月の明るい部分が水で、暗い部分が地面だと考えていた。1603年11月30日、ロンドンで没し、死因は腺ペストと言われている。
同じ年に亡くなった人物
- ゲオルク・フリードリヒ (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯) (1603年没)
- アフマド・マンスール・ザハビー (1603年没)
- エリザベス1世 (イングランド女王) (1603年没)
- Yemisci Hasan Pasa (1603年没)
- マールテン・デ・フォス (1603年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョシュア・ブルックス (1833年没)
- チャールズ2世 (イングランド王) (1685年没)
- メアリー・タム (2012年没)
- エドモンド・レイトン (1922年没)
- ウィリアム・クルックス (1919年没)