伝記
テュロスのポルピュリオスは、234年に生まれ、305年に没したとされる、新プラトン主義の哲学者である。テュロスの出身で、師プロティノスの唯一の著作『エンネアデス』を編纂して発表した。自らの著作も多く、主題は多岐にわたる。『エイサゴーゲー』は論理と哲学の手引きで、そのラテン語訳は中世を通じて論理学の標準的な教科書となった。また『託宣からの哲学』などを通じて、多数の初期キリスト教徒との論争に加わり、『ユークリッド原論』への注釈は、アレクサンドリアのパッポスに典拠として利用された。
両親はフェニキア人で、テュロスで生まれ、マルコス、すなわち「王」と名付けられた。アテナイでカッシオス・ロンギノスに師事し、文法と修辞を学んだ。ロンギノスから、紫色の服を着ている人を意味するポルピュリオスの名を与えられたという。紫色の服は皇帝のローブを暗に指す。262年にローマへ行き、プロティノスの名声に魅せられて、6年間、新プラトン主義を学ぶのに専心した。この間、自らの食事を厳しく制限したため、気が滅入って自殺を考えるまでになった。そこでプロティノスの助言に従ってシチリアへ行き、5年間かけて体調を回復した。その後ローマにもどり、哲学の講義をしながら、プロティノスの著作の編纂を完了し、その伝記も書いた。このとき、プロティノスはすでに世を去っていた。
後年、7歳の子を抱えた寡婦で熱心な哲学徒のマルセラと結婚した。ただ、それ以上のことはほとんど知られておらず、死んだ日もわかっていない。カルキスのイアンブリコスは、古代の新プラトン主義の著作の中でポルピュリオスの弟子として言及されているが、次の世代の主要な人物だという意味にすぎないだろう。二人はテウルギー、すなわち呪術の問題で公然と意見を異にし、ポルピュリオスはイアンブリコスの秘法にも反論した。
哲学の業績で最も知られるのは『手引き』である。ポルピュリオスの最も影響力のある功績は、アリストテレスの論理学を新プラトン主義と合体させ、範疇という概念を実体的に理解した点で、これは後の哲学で言う普遍にあたる。この書では、実体が「類」「種」「種差」「固有性」「付帯性」の五つに分けられる。ボエティウスのラテン語訳は中世ヨーロッパの学校や大学で標準的な教科書となり、論理学や普遍論争の発展につながった。実体の分類を図にした「ポルピュリオスの樹」は、今日の生物の分類にも恩恵を与えているとされる。この書はイブヌル・ムカッファによってアラビア語に翻訳され、イスラーム圏でも長く標準的な論理学の教科書として扱われた。
彼はまた、キリスト教に反対して異教を擁護したことでも知られる。『託宣からの哲学』は、ディオクレティアヌスやガレリウスによるキリスト教迫害以前に書かれ、彼らに迫害の根拠を提供したとされる。15巻に及ぶキリスト教反駁の書は断片のみが残り、エウセビオスらがこれへの反論を書いたが、散逸した。ヒエロニムスによれば、彼はダニエル書を、紀元前2世紀のアンティオコス4世の時代の人物の作だと認識していた。ピタゴラスと同様、霊的・倫理的な根拠から菜食主義を支持し、動物を食料とすることに反対する著作も残した。ほかに、プラトンやピタゴラスの伝記や、プトレマイオスの音楽理論『ハルモニア論』への注釈もあり、後者は古代の音楽理論史の重要な情報源である。
同じ年に亡くなった人物
- ニコメディアのユリアナ (305年)
- 聖パンテレイモン (305年)
- ヤヌアリウス (305年)
- アレクサンドリアのカタリナ (305年没)
- 聖オルバン (305年)
同じ地域に関係する人物
- ピエール・ルグロ (1719年没)
- アンドレアス・フォン・エスターライヒ (1600年没)
- シルヴァーナ・パンパニーニ (2016年没)
- アルマンド・トロヴァヨーリ (2013年没)
- アレクサンデル6世 (ローマ教皇) (1503年没)