HISTORICAL PERSON · 2001年没

アンソニー・クイン

メキシコ系アメリカ人の俳優、画家、作家。野性的な役柄でさまざまな国籍の人物を演じ、1950〜60年代を中心に国際的に活躍した。

生涯
2001年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ボストン)
出生地
メキシコ合衆国(チワワ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

アンソニー・クインは、1915年4月21日にメキシコのチワワ州チワワで生まれ、2001年6月3日にボストンで没したメキシコ系アメリカ人の俳優であり、画家、作家でもあった。野性的な役柄でさまざまな国籍の人物を演じ、1950年代と1960年代を中心に国際的に活躍した。

生まれたのは、メキシコが政治的・社会的な革命の渦中にあった頃である。本人によれば、父フランシスコ・クインはアイルランド系で、パンチョ・ビリャの側に立って革命に参加し、そこで母マヌエラ・オアハカと出会った。母はアステカの血を引くメキシコ人だった。幼いうちに一家はテキサス、続いてカリフォルニア州ロサンゼルスへ移り、極度の貧困のなかでボイル・ハイツやエコー・パークで幼年期を送った。1926年に父を亡くし、学業を終えられないまま、靴磨きや新聞売り、農場の働き手、皿洗い、使い走りなどの雑多な仕事で家計を助けた。思春期には絵に関心を持ち、新聞の写真から映画スターの肖像を描いて送ったところ、返事をくれたのはダグラス・フェアバンクスだけで、10ドルを受け取ったという。16歳でプロボクサーとなり、16勝したが17戦目で強い相手に敗れて引退した。1935年にはポリテクニック・ハイスクールで絵画と演技を学び、建築家フランク・ロイド・ライトに建築も学んで、設計で一等賞を得た。

1936年に『パロール』や『ミルキーウェイ』などに出演して俳優としての経歴が始まった。短い舞台出演のあとセシル・B・デミルの目にとまり、1940年代にはパラマウント映画のいくつかの作品で、さまざまな人種の悪人を演じた。デミルの養女キャサリン・デミルと結婚したが、人脈は出世につながらず、舞い込む役は悪役で、ごく短い登場でほどなく殺される役ばかりだった。1947年には50本以上の作品でインディアン、マフィアのボス、ハワイの酋長、中国人のゲリラなどを演じたが、大物俳優ではなかった。そこで舞台に戻り、ブロードウェイで3年間を過ごして、『欲望という名の電車』のスタンリー・コワルスキー役などを務めた。1952年の『革命児サパタ』で主人公の兄を演じたあたりから評価が高まり、アカデミー助演男優賞を受賞して、メキシコ人として初めての受賞者となった。1956年の『炎の人ゴッホ』ではゴーギャンを演じて二度目の助演男優賞を受けた。

『道』(1954年)、『ナバロンの要塞』(1961年)、『アラビアのロレンス』(1962年)などで国際的な名声を高め、『その男ゾルバ』(1964年)では主演男優賞にノミネートされた。『アラビアのロレンス』のアウダ・アブー・ターイー、『ザ・メッセージ』のハムザ、『砂漠のライオン』のオマル・ムフタールなど、実在したアラブ人も演じた。1958年の『大海賊』では、デミルが病気で倒れたため途中から監督を代行したが、作品にはアンソニー・マン監督とクレジットされた。1970年代以降は性格俳優としても評価され、晩年はテレビ作品にも多数出演し、『勇者ヘラクレス』ではゼウスを演じた。1986年にはゴールデングローブ賞のセシル・B・デミル賞を受けた。3度結婚して13人の子をもうけ、息子のフランチェスコ、ロレンツォ、アレックス、娘のヴァレンチナは俳優になった。末子のライアン・ニコラスは81歳のときに生まれた。

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