HISTORICAL PERSON · 2001年没

クロード・シャノン

アメリカの電気工学者・数学者。情報理論を考案して「情報理論の父」と呼ばれ、通信・暗号・データ圧縮などの先駆的研究を残した。

生涯
2001年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / メドフォード)
出生地
アメリカ合衆国(ペトスキー市)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

クロード・エルウッド・シャノンは、1916年4月30日にアメリカのミシガン州で生まれた電気工学者、数学者であり、「情報理論の父」と呼ばれる。生まれたとき家族はミシガン州に住んでおり、近くの病院で生まれた。父クロード・シニアは実業家で、母メイベル・ウルフ・シャノンは語学の教師、のちにゲイロード高校の校長も務めた。ゲイロードで育ち、機械や電気に興味を持って、飛行機の模型やラジコンボートを作り、半マイル離れた友人の家まで電線を張って電信を通したこともある。高校時代には電報配達や、百貨店でのラジオ修理のアルバイトもした。子供のころはトーマス・エジソンに憧れ、のちに自分の遠縁にあたると知った。

1932年にミシガン大学に入り、ジョージ・ブールの研究に触れて、1936年に電気工学と数学の学士号を得た。マサチューセッツ工科大学の電気工学科に進み、ヴァネヴァー・ブッシュのもとで微分解析機の保守に携わった。1937年の夏にはベル研究所で、ブール代数とスイッチング回路を結びつける着想を得て、同年に修士論文「リレーとスイッチ回路の記号論的解析」としてまとめた。スイッチのオンとオフを真理値に対応させれば、直列接続は論理積に、並列接続は論理和に対応する。こうして論理演算を回路で実行できると示したことで、それまで職人の経験則によっていた電話交換機などの設計が、数学的な理論で行えるようになった。ハワード・ガードナーはこの論文を「たぶん今世紀で最も重要で、かつ最も有名な修士論文」と評した。ただし、中嶋章による発表のほうがわずかに早く、独立の成果かどうかは不明とされる。論文は翌年に学会報に載り、1940年にはアルフレッド・ノーブル賞を受けた。

1938年末にブッシュの助言で数学科に移り、遺伝学の研究から「理論遺伝学のための代数学」で博士号を取った。1940年の夏をベル研究所で過ごし、プリンストン高等研究所にも1年間滞在して、ヘルマン・ワイルのもとで研究した。その後ベル研究所に戻って、数学研究部門の常勤職員となった。1948年に論文「通信の数学的理論」を発表し、曖昧だった「情報」を量として定義して、情報理論を創始した。情報の量を事象の起こる確率で定め、平均情報量にエントロピーの語を用いた。情報量の単位としてビットを初めて使ったのも彼である。ノイズのない通信路での効率的な符号化と、ノイズのある通信路での誤り訂正符号の定理は、データ圧縮と誤り訂正の基礎になった。1949年には標本化定理を証明し、同年の論文「秘匿系の通信理論」では、ワンタイムパッドが解読不可能な暗号であることを数学的に示した。同じ年、チェスのためのコンピュータプログラミングに関する論文も発表し、評価関数にもとづくミニマックス法を示した。

1956年に電子工学研究所の研究員としてMITの教員になり、1978年まで務めた。1966年にアメリカ国家科学賞、1967年にゴールデンプレート賞、1983年にジョン・フリッツ・メダル、1985年に京都賞の基礎科学部門を受けた。晩年はアルツハイマー病を発症し、ナーシングホームで過ごした。2001年2月24日に、妻と息子と娘、2人の孫娘を残して死去した。

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