伝記
ジェームズ・トービンは、1918年3月5日にアメリカ合衆国イリノイ州シャンペーンで生まれた経済学者である。父ルイス・マイケル・トービンはイリノイ大学に勤める新聞記者で、同大学の「ホームカミング」の考案者とされる。母マーガレット・エッジャートンは社会事業に携わった。キャンパス内の実験学校であるイリノイ大学付属高校に学び、1935年に全国規模の奨学金を得てハーバード大学に入学した。1936年に刊行されたばかりのケインズの『一般理論』を、大学院生で個別指導教員だったスペンサー・ポラードと一緒に読んだのが、この大学での出会いだった。1939年に最優等で卒業し、卒業論文はケインズの理論が失業を含む均衡を導く仕組みの批判的な検討で、これをもとにした論文が、1941年に初めて発表された。
1940年に修士号を得て、1941年には物価管理局や戦時生産局で働いた。1942年にはアメリカ海軍に入り、戦争中は駆逐艦などの士官として過ごした。海軍での4年間の後、ハーバードに戻って、1947年にヨーゼフ・シュンペーターの指導のもと、消費関数についての論文で博士号を取得した。同じ年、学内のソサエティ・オブ・フェローズのジュニア・フェローに選ばれ、3年間の自由な研究を許された。1946年9月14日には、ポール・サミュエルソンの教え子だったエリザベス・フェイ・リンゴと結婚しており、四人の子をもうけた。
1950年にイェール大学の准教授となり、以後、生涯の研究の場とした。1955年に教授となり、同じ年には、シカゴ大学からイェールに移ったコウルズ財団に加わって、1955年から1961年、1964年から1965年にはその会長を務めた。1955年にはジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受けた。1957年にはイェール大学でも格の高いスターリング教授に任じられた。研究の中心は、ケインズ経済学にミクロ的な基礎を与えることで、とくに貨幣経済学に力を入れた。投資や金融市場の研究で業績を残し、会社の資産と市場での評価を測る指標として知られる「トービンのq理論」を打ち出した。限られた範囲の値しか観察できない被説明変数のための計量モデル、いわゆるトービット・モデルも提唱した。
学外でも活発に動いた。1961年から1962年にはケネディ大統領のもとで大統領経済諮問委員会の委員を務め、1962年から1968年は顧問となって、アーサー・オーカン、ロバート・ソロー、ケネス・アローらと協力して、ケネディ政権のケインズ主義的な経済政策の設計に関わった。連邦準備制度理事会の学術顧問や財務省の顧問も務めた。新ケインズ派のジェームズ・ミードとともに、名目GDP目標を金融政策のルールとする案も示した。ケインズの考えを支持し、マネタリストと財政・金融政策をめぐって論争した。また、投機的な通貨取引に課税する「トービン税」を唱えて、国際通貨市場の投機を減らそうとした。1971年にはアメリカ経済学会の会長となり、1972年にはウィリアム・ノードハウスと論文「成長は時代遅れか」を発表した。
1981年にノーベル経済学賞を受賞した。受賞理由は、金融市場と、支出決定、雇用、生産、物価との関係の分析に対する創造的で幅広い業績だった。1988年に70歳でイェール大学を退職して名誉教授となったが、講義と執筆は続けた。2002年3月11日、コネチカット州ニューヘイブンで、84歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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- マリア・フェリックス (2002年没)
- ルース・ウィリアムズ (2002年没)
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- メアリー・ブライアン (2002年没)
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