伝記
スノードン伯爵夫人マーガレット王女は、全名をマーガレット・ローズといい、1930年8月21日、スコットランドのグラミス城で、ヨーク公アルバート(のちの国王ジョージ6世)と妃エリザベスの次女として生まれたイギリスの王族である。姉はのちのエリザベス2世女王で、家族からは愛称のマーゴで呼ばれた。生まれたとき、王位継承順位は第4位であった。誕生の登録は、13人目の登録になることを避けるため、数日遅らされたという。幼少期は、ロンドンのピカデリーの邸宅とウィンザーのロイヤル・ロッジで、姉や両親とともに過ごし、世間からは理想的な家庭と見られていたが、マーガレットが耳と口が不自由ではないかという噂もあったとされる。
1936年、伯父エドワード8世の退位で父がジョージ6世として即位し、一家4人でバッキンガム宮殿に移り住んだ。姉が王位継承者となったため、マーガレットは第2位となった。第二次世界大戦中は、姉とともにウィンザー城に残った。戦争の間は公務を求められず、勉学を続けた。1944年、父は「空の英雄」ピーター・タウンゼント大佐を侍従武官に任命し、王女は大佐に一目で恋をしたという。2人の関係は長く秘されたが、1953年の姉の戴冠式で、仲睦まじい姿が報道に知れ渡った。大佐は離婚歴があり、16歳年上であった。政府首脳や王族は、エドワード8世の退位の再現を恐れて厳しい姿勢をとり、結婚すれば王位継承権や王族としての年金を失うと告げ、英国国教会も結婚を認めないと決めた。母の王太后も冷淡で、同情的だったのは姉の女王だけだったが、女王は2人が穏便に別れることを望んでいたとされる。1955年10月31日、クラレンス・ハウスで王女は大佐と会うことを許され、それが2人の別れとなった。「私はピーター・タウンゼント大佐と結婚しないと決意したことを、ここにご報告します」という王女の声明は、BBCで放送された。
何人かの上流階級の男性との噂を経て、1960年に写真家のアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚し、夫はスノードン伯爵に叙された。長男デイヴィッドと長女セーラが生まれたが、結婚生活は早いうちに破綻したとされる。1960年代後半から1970年代前半にかけては、マスティク島での華やかなパーティーに明け暮れて、ゴシップ紙の常連となった。1970年代初めには、17歳年下の庭師と2人で旅行に出かけたところを撮影され、不倫が明るみに出て、1978年7月にスノードン伯爵と離婚した。その後はミック・ジャガーやピーター・セラーズなどの有名人との浮名が伝えられたが、次第に落ち着き、ロイヤル・バレエ団の後援など芸術文化活動の中心となった。1981年に結婚したダイアナ妃が王室で孤立したとき、頼ったのはこの慣例にとらわれない王女だったといわれる。両者の関係は良好だったが、ダイアナ妃がBBCの番組でインタビューに答えたのち、破綻して回復しなかった。
長年の喫煙者で、1985年に肺の手術、1993年に肺炎、1998年から2001年までに少なくとも3度の脳卒中に見舞われた。1995年にタウンゼント大佐がベルギーで亡くなり、同じころに王女も脳卒中で倒れ、車椅子の生活となった。2002年2月9日に71歳で死去した。母の王太后は娘の死にショックを受け、3月30日に後を追うように亡くなった。遺体は、王室としては珍しく火葬され、遺灰はウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂に、両親と並んで埋葬された。
同じ年に亡くなった人物
- M・スラヴェンスカ (2002年没)
- アンリ・ロル=タンギー (2002年没)
- ジョナサン・ハリス (2002年没)
- ベアトリス・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ (2002年没)
- Lolita Torres (2002年没)
同じ地域に関係する人物
- ウィリアム・キャクストン (1492年没)
- L・P・ハートリー (1972年没)
- ジョン・メーヨー (1679年没)
- モード (サウスエスク伯爵夫人) (1945年没)
- エリナー・ヒバート (1993年没)