伝記
レスリー・チャン(張國榮)は、1956年9月12日、香港の裕福な家庭に生まれた俳優、歌手である。出生名は張發宗で、愛称は「哥哥(お兄さん)」といった。10人兄弟の10番目だったため幼名は「十仔」だが、姉1人と兄2人が幼くして亡くなっており、実際には7人兄弟だった。父はハリウッドスターなどを顧客にもつ有名な仕立屋で、紡績工場も経営していた。母は事業に忙しく、レスリーは祖母の家に預けられ、「六姐」と呼ばれる乳母に育てられた。
1969年、13歳でイギリス東部のノーフォークに留学し、のちにリーズ大学に入ってテキスタイルを専攻したが、父が病に倒れたため学業を半ばで切り上げて香港に帰った。中国語の学力を心配した母の勧めで中学5年のクラスに編入し、その後は、父のつてで入った弁護士事務所や自分で見つけた販売員の仕事などを転々として、家族とは離れて暮らした。1976年、友人とテレビ局が主催する歌謡コンテストに出て「アメリカン・パイ」を歌い、準優勝した。翌1977年から歌手として活動を始めたが、しばらくは下積みの生活が続いた。親しくしていた女性の裏切りもあり、金銭的にも精神的にも苦しい日々だったという。
1983年に山口百恵の『さよならの向う側』のカバー『風継続吹』がヒットし、1985年には吉川晃司の『モニカ』のカバーが空前の大ヒットとなって、一躍トップアイドル歌手になった。1989年に歌手引退を宣言してカナダへ移住したが、半年後に香港へ戻り、俳優として芸能界に復帰した。1982年にパトリック・タム監督の映画に出演して、のちのウォン・カーウァイらニューウェーブに影響を与え、その後はアイドル映画に次々と出演した。1986年の『男たちの挽歌』、1987年の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』など、大ヒット作が続いた。1990年にはウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』で香港電影金像奨の主演男優賞を受けた。1993年にはチェン・カイコー監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』に出演し、同作はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞している。1997年のウォン・カーウァイ監督『ブエノスアイレス』は、日本の単館上映の記録を塗り替える大ヒットとなった。
1994年にピーター・チャン監督の『君さえいれば/金枝玉葉』に出たことをきっかけに歌手として復帰し、2000年のコンサートでは、衣装をジャン=ポール・ゴルチエに依頼して大成功を収めた。映画監督を志して、ミュージッククリップやテレビドラマ、短編映画なども撮影していた。1997年の香港でのコンサートで、母と幼なじみのダッフィー・トンに捧げて恋の歌を歌ったことは、トンとの関係を事実上公表したものとされ、彼は中国語圏で最も早くカミングアウトした著名人の一人となった。2003年4月1日、香港のホテル、マンダリン・オリエンタルの高層階から身を投げて、46歳で亡くなった。鬱病を患っていたとされ、遺書には、長年姉と慕った沈殿霞への感謝とお詫びが記されていたという。ホテルの門前にはファンが花束とメッセージカードを捧げて人だかりとなり、葬儀には香港の芸能関係者のほぼ全員と多数のファンが参列した。2005年には香港郵政が記念切手に彼を起用し、2007年12月には、日本人ファン120人の賛同で、東京の日比谷公園に「レスリー・チャンの思い出ベンチ」が置かれた。
同じ年に亡くなった人物
- エリオット・スミス (2003年没)
- ブルーノ・ベルンハルト・ハイム (2003年没)
- Bela Karpati (2003年没)
- Steve O'Rourke (2003年没)
- ウォーレン・スパーン (2003年没)
同じ地域に関係する人物
- チャン・チェ (2002年没)
- カール・ギュツラフ (1851年没)
- シー・キエン (2009年没)
- John Lander (1941年没)
- レイモンド・チョウ (2018年没)