伝記
イリヤ・プリゴジンは、1917年1月25日にロシア革命の直前のモスクワで、ユダヤ系の家に生まれた化学者、物理学者である。父ロマン・アブラモヴィチ・プリゴジンはモスクワの工科大学の化学技術者で、母ユリア・ヴィチマンはモスクワ音楽院のピアノ科を出たピアニストだった。1921年にソビエト体制下のロシアを離れて家族とともにドイツへ移り、1929年にベルギーのブリュッセルに定住した。兄弟のアレクサンドルと同じくブリュッセル自由大学で化学を学び、テオフィル・ド・ドンデに師事して、1941年に博士号を取得した。1947年から同大学の教授となり、1949年にはベルギー国籍を得た。
母の話では、イリヤは文字を読む前から楽譜を読めたという。4歳から母にピアノを習い、のちにピアニストのダヴィッド・アシュケナージに師事して、大学へ上がる前にピアノの国際コンクールで優勝したが、化学の道を選んだ。1949年には数学者アラン・チューリングと知り合い、チューリングが1952年から1954年に行った形態形成の数理生物学の研究を、のちに先駆的な業績と評価した。1953年には国際理論物理学会で来日し、仲間のカークウッドらと全国の高校をまわって講演した。当時の日本の物理学では素粒子論が主流だったが、これからはトランジスタなどの物性物理学が主流になると予言して若者を励まし、今日の技術国日本の礎を作ったと、常々満足げに話していたという。日本の物理学界の指導者を多く育てた功績により、日本政府から勲二等の叙勲を受けている。1959年からはブリュッセルの国際ソルヴェー研究所の所長となった。同じ年からテキサス大学オースティン校でも、1961年からシカゴ大学でも教えて、1967年にはテキサス大学に統計力学と熱力学の研究所を創設した。
研究では、化学平衡から遠い状態にある溶液を調べた。平衡にあれば温度や圧力などの性質は変わらず、物質やエネルギーの出入りもないが、実際の溶液では変化が絶えず起きていながら、ある程度の秩序が保たれている。溶液の温度を低温から急に上げると、小さい部分が秩序を保ちながら全体の中を動くことを見いだした。それまで、非平衡では予測できる秩序は生じないと考えられていた。この現象は不可逆で、冷やしても逆の現象は起こらないことも見いだした。こうした非平衡系の秩序の仕組みを「散逸構造」という概念で提唱し、1977年にノーベル化学賞を受賞した。その理論は、社会学や生態学、経済学、気象学、人口動態学のモデルにも応用されている。
受賞後は、物理学の基本問題である時間の対称性の破れに生涯を捧げ、その破れは古典力学と量子力学の力学的性質の帰結だとする立場から、多くの論文を残した。一般向けに理論を書いた『混沌からの秩序』(1979年)のほか、『存在から発展へ』(1980年)や『複雑性の探究』(1989年)などの著書があり、時代の思潮にも大きな影響を与えた。1989年にはベルギー国王から子爵に叙された。一方、既存の物理を過度に否定的にとらえ、代わりの提案もレトリカルで本質を捉え損ねているという批判が物理学者の中からも出ており、評価は大きく分かれる。2003年5月28日、ブリュッセルで没した。
同じ年に亡くなった人物
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- チャールズ・ベルリッツ (2003年没)
- レオニード・フィラトフ (2003年没)
- マルク=ヴィヴィアン・フォエ (2003年没)
- ヴェイッコ・ハクリネン (2003年没)
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