伝記
ロバート・キング・マートンは、1910年7月4日にアメリカのフィラデルフィアで生まれた社会学者である。ユダヤ系ロシア人の家庭に生まれ、育ったのは市内のスラムだった。生まれつきの名はマイヤー・ロバート・シュコルニックという。南フィラデルフィア高校の生徒のころは、カーネギー図書館やカーティス音楽院、フィラデルフィア美術館などの文化施設に足しげく通った。姉の恋人の影響で、初めは手品師を目指し、舞台ではロバート・マートンの芸名を使っていた。テンプル大学で奨学金を受ける際にもこの名前を用い、以後は生涯この名を名乗ることになった。
テンプル大学では指導教授ジョージ・E・シンプソンに連れられて、アメリカ社会学会の年次総会に出席し、そこでハーバード大学教授のピティリム・ソローキンと出会った。大学を卒業するとハーバードの大学院に進み、ソローキンやタルコット・パーソンズらに師事した。大学院を終えてからはハーバード大学の講師、チューレーン大学の助教授・教授を経て、1941年から1973年に退官するまで、コロンビア大学で教えた。同時にポール・ラザースフェルドとともに、同大学の応用社会調査研究所で中心的な役割を担った。1956年にはアメリカ社会学会の会長となり、1994年にはアメリカ国家科学賞を授与された。門下からは、シーモア・M・リプセット、アルヴィン・グールドナー、ピーター・ブラウらが出ている。
マートンは、パーソンズと並ぶ機能主義の社会学者であり、またその批判的な継承者でもあった。パーソンズの演繹的で幾何学的な精神と好対照をなす、帰納的な精神を特徴とした。パーソンズは、社会的な機能は社会構造の維持と安定に貢献するものだと考えたが、マートンは、既存の社会構造を揺るがす逆機能もあることを指摘した。また、あらゆる社会に当てはまる統一理論を目指したパーソンズに対して、社会調査の成果に基づき、個別の事例と抽象的な理論の間をつなぐ「中範囲の理論」の必要を唱えた。ただしこれは、一般理論を否定するものではなく、特殊な理論を積み重ねて、最終的には一般理論に至ろうとする、いわば過渡的な理論である。師弟は激しい批判を交わしたが、二人は生涯、友好的な関係を保ち、学問的な協力を続けたと、高城和義は指摘している。
機能分析では、結果が望ましい順機能と、そうでない逆機能、また結果が知られている顕在的機能と、そうでない潜在的機能とを区別した。その狙いは、「意図せざる結果」を明らかにするとともに、従来の機能主義にあった保守性とイデオロギー性を克服することにあった。業績はこのほか、アノミー論と逸脱行動論、官僚制論、準拠集団論、知識社会学、マス・コミュニケーション研究、科学社会学、予期的社会化、自己成就的予言など多岐にわたる。主著に『社会理論と社会構造』がある。
私生活では、1934年にスザンヌ・カーハートと結婚した。二人の間の子供に、1997年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・マートンがいる。息子の受賞後、父はしばしば手紙に「経済学者の父」と署名したという。1968年に離婚し、前妻は1992年に亡くなった。その翌年の1993年に、科学社会学者でコロンビア大学の教授も務めたハリエット・ズッカーマンと再婚し、彼女はマートンの死まで連れ添った。2003年2月23日に亡くなると、コロンビア大学は大学葬でその学術的、教育的な貢献を称えた。
同じ年に亡くなった人物
- アン・グウィン (2003年没)
- Erland Herkenrath (2003年没)
- ドナルド・デイヴィッドソン (2003年没)
- ハンス・ヘルマン・グレア (2003年没)
- エディ・トムソン (2003年没)
同じ地域に関係する人物
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- ルイス・スウィフト (1913年没)
- ヘンリー・カウエル (1965年没)
- マリアンヌ・エメシェール (2009年没)
- ベイジル・ラスボーン (1967年没)