伝記
フレッド・マクフィーリー・ロジャースは、1928年3月20日に生まれ、2003年2月27日に没したアメリカ合衆国のテレビ番組の司会者である。就学前の子ども向け番組「ミスター・ロジャース・ネイバーフッド」を1968年から2001年まで制作し、司会と楽曲の制作を務めた。心優しく礼儀正しい、柔らかな語り口と、視聴者への実直な態度で人気を博し、約30年間、アメリカの子どもたちの娯楽と教育の象徴となった。
ペンシルベニア州のラトローブ(ピッツバーグの南東約65キロ)で、ジェームスとナンシー・ロジャースの間に生まれた。姉妹にエレインがいる。若い頃は自由な時間の多くを、音楽好きの母方の祖父フレッド・マクフィーリーと過ごした。母がピアノを弾くと1人で歌い出し、5歳で自分でも演奏を始めた。1946年にラトローブ高校を卒業し、1946年から48年までダートマス大学で学び、フロリダ州ウィンターパークのローリンズ大学に移って、1951年に作曲で文学士を得た。ローリンズ大学でサラ・ジョアン・バードと出会い、1952年6月9日に結婚して、2人の子をもうけた。聖職者としての教育も受け、1963年にピッツバーグ神学校を卒業し、長老派の教会から聖職者に任命された。ただし説教には関心がなく、叙任の際には、子ども向けのテレビ制作を続ける務めを課されたという。毎朝泳ぎ、喫煙も飲酒もせず、倫理的な理由から菜食主義者だった。
実家で初めてテレビ番組を見たことが人生の転機になった。のちにCNNのインタビューで、「テレビを嫌っていたからテレビ業界に入った。そしてこの素晴らしい機械を使って、視聴者を育てる方法をいくつか考えた」と語っている。1951年にニューヨークのNBCに職を求め、音楽番組などに携わった。しかし、商業的なテレビの広告や商品化の計画が、若い視聴者を教育し豊かにする力を損なうと考えて、NBCを辞めた。1954年にはピッツバーグの公共テレビ局で、子ども向け番組「ザ・チルドレンズ・コーナー」の人形遣いとして働き始めた。7年間、台本のない生放送で司会者のジョシー・キャリーとともに、多くの人形やキャラクターと、のちの番組で使う音楽を作り上げた。1963年にはトロントへ移り、カナダ放送協会の15分間の子ども向け番組に初めてカメラの前に立った。この番組は3シーズン続いた。1966年に番組の権利を取得してピッツバーグの同局に戻り、新しい番組を制作した。
「ミスター・ロジャース・ネイバーフッド」は1968年2月9日に放送が始まり、翌年に公共放送サービスに移った。1971年には、ファミリー・コミュニケーションズ社を設立した。番組は全部で895話が放送され、最後の新作は2000年12月に収録されて2001年8月に放送された。毎回、テーマソングを歌いながら帰宅し、スニーカーに履き替えて、ジッパー式のカーディガンに着替えるところから始まった。ロジャースはアニメーションの速いテンポを「爆撃」のようだと考え、番組の進行は単純にして、カメラの内外で人格を使い分けなかった。ほぼ全ての楽曲を自分でつくり、子どもが怖がるものを穏やかな歌で扱った。大統領自由勲章やピーボディ賞を受け、40以上の名誉学位を授与された。
同じ年に亡くなった人物
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- レフ・ケルベリ (2003年没)
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