伝記
アンドリアン・グリゴリビッチ・ニコラエフは、1929年9月5日に生まれ、2004年7月3日に没したソビエト連邦の宇宙飛行士である。テュルク系のチュヴァシ人で、そのためテュルク系で最初の宇宙飛行士とされる。
ヴォルガ川流域のチュヴァシ地方にある村ショルシェリに生まれ、少年期は集団農場で過ごした。1944年に父を亡くすと家計を支えたが、母は仕事よりも教育を受けさせたいと望んだ。のちに医学校に入り、その後ソビエト軍に加わったという。訓練中は、ストレスのかかる場面でも非常に冷静な状態を保ち、この落ち着きが宇宙飛行士の候補としての資質と見なされた。1960年3月、ユーリ・ガガーリン、ゲルマン・チトフのほか、17人の仲間とともに、宇宙飛行士の候補に加わった。
宇宙飛行は2度行った。1度目は1962年のボストーク3号で、ソビエト連邦の3人目の宇宙飛行士となった。ボストーク4号のパベル・ポポビッチとともに、初めてのデュアルフライトを行い、1962年8月には宇宙から初めてのテレビ放送を行った人物ともなった。2度目はソユーズ9号である。どちらの飛行でも交信の呼び名は「ファルコン」で、両方の飛行で、人間が軌道上に滞在する時間の最長記録を更新した。ボストーク2号とソユーズ8号ではバックアップを務めた。
宇宙飛行の初期には、訓練中の宇宙飛行士を隔離された部屋に入れ、どれだけ長く孤独に耐えられるかを見ることが普通に行われていた。時間の感覚をつかめないまま黙って座り続けるうちに、多くの者が精神の均衡を崩したが、ニコラエフだけは最長の4日間を耐え抜き、「鉄人」として知られるようになった。1969年1月22日には、ソビエト軍の大尉ヴィクトル・イリーイン(脱走兵ともされる)がレオニード・ブレジネフを狙った暗殺未遂事件から、生き延びている。
1963年11月3日、女性として初めて宇宙を飛んだワレンチナ・テレシコワと結婚し、一人娘エレナをもうけた。エレナは長じて医学博士となった。結婚生活は破綻したが、離婚は1982年まで成立しなかった。同じ年の1982年1月26日に宇宙飛行士の部隊を離れた。2度のソ連邦英雄やレーニン勲章をはじめ、様々なメダルや外国の勲章を受けており、月のクレーターにニコラエフの名がつけられている。
2004年、チュヴァシ共和国の首都チェボクサルで心筋梗塞のために亡くなったが、その後に問題が起きた。モスクワに住む娘は、スターシティの墓地への埋葬を望んだが、チュヴァシ共和国大統領は、葬儀の後に出身地のショルシェリへ埋葬した。共和国には肉親が誰も住んでいないため、スターシティに遺骨を移す計画が進められているという。
同じ年に亡くなった人物
- アフマド・カディロフ (2004年没)
- ジャック・ジョルジュ (2004年没)
- レナータ・テバルディ (2004年没)
- Frantisek Schmucker (2004年没)
- ブレンダ・ファッシー (2004年没)
同じ地域に関係する人物
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- Alexandra Petrova (2000年没)