伝記
エドワード・バッツ・ルイスは、1918年5月20日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ウィルクスバリに生まれた遺伝学者である。次男で、父は時計商兼宝石商、母はローラ・メアリー・ルイスといった。父と同名のジュニアとなるはずだったが、出生証明書の記入の誤りでミドルネームが「B」と記された。E・L・マイヤーズ高校を卒業し、ミネソタ大学で生物統計学の学士号を得た。ここでC・P・オリヴァーの研究室でキイロショウジョウバエを扱った。1939年にカリフォルニア工科大学に移り、アルフレッド・スターテヴァントの指導のもとで3年ほどのうちに博士号を取得した。
1942年に陸軍航空隊の気象学の訓練課程に入り、翌年に気象学の修士号も得た。1943年に兵役に就く際、学長のロバート・ミリカンから、復員後は講師の職があると告げられた。ハワイと沖縄で4年間、おもに天気予報の仕事をした。1946年にカリフォルニア工科大学に戻り、遺伝学入門の実験などを受け持った。同じ年にパメラ・ハラーと出会い、のちに結婚して三人の息子に恵まれた。パメラは画家で、スタンフォード大学で遺伝学を学び、のちに遺伝子の調節を理解するうえで重要となるポリコーム変異を見つけている。ルイスは、1956年に教授となり、1966年にはトーマス・ハント・モーガン生物学教授に就任した。
1940年代から50年代には、近接した変異に関する基礎的な研究を行い、擬対立遺伝子の概念を導入した。かつては一つの遺伝子の複数の対立遺伝子と考えられた変異が、組換えによって分離できることを示し、遺伝子が近接した複数の機能単位からなりうることを明らかにして、遺伝子を分割できない単位とする古典的な見方に疑問を投げかけた。相補性検定の発展にも寄与したとされる。
1950年代には、X線や放射性降下物などの放射線ががんの原因となる可能性を調べた。広島と長崎の被爆者や、X線にさらされた放射線技師や患者の医療記録を検討し、放射線による健康被害は過小評価されてきたと結論した。論文を発表し、1957年には議会の原子力委員会で報告した。放射線の影響には閾値がなく、被曝がすべて長期の累積的な影響をもつと主張した。
中心的な業績は、キイロショウジョウバエのホメオティック遺伝子の研究である。バイソラックス複合体が前後軸に沿った体節の同一性を制御することを示し、複合体内の遺伝子の並びと、それぞれが強く作用する体節の並びが対応することを明らかにした。この対応は、のちにコリニアリティの原理として整理された。平衡棍が翅に変わる変異の解析から、ある体節が別の体節として指定し直される現象を遺伝学的に説明した。1978年の総説では、各遺伝子の作用領域が部分的に重なり合い、複数の遺伝子の相互作用で各体節の運命が決まるという見取り図を示した。これは、高等動物やヒトで見つかった相同なHOX遺伝子群にも通じる出発点となり、のちの分子解析で、この複合体が大きな遺伝子座であることも確かめられた。1995年、初期胚発生の遺伝的制御に関する発見により、ノーベル生理学・医学賞を共同で受賞した。1983年にトーマス・ハント・モーガン・メダル、1989年にウルフ賞、1990年にアメリカ国家科学賞、1991年にアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受けている。夜に仕事をする習慣があり、フルートを吹き、水泳や室内楽を楽しんだという。2004年7月21日に亡くなった。
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