HISTORICAL PERSON · 1617年没

フランシスコ・スアレス

スペインのイエズス会士・神学者。トマス・アクィナスの学説を中心にスコラ学を体系化し、人民主権論や国際法の基礎を築いてグロティウスに影響を与えた。

生涯
1617年没
死亡地
ポルトガル共和国(リスボン県 / リスボン)
出生地
スペイン王国(グラナダ)
出典
世界地図
ポルトガル共和国(リスボン県)

伝記

フランシスコ・スアレスは、スペインの神学者、哲学者、法学者で、イエズス会士である。1548年1月5日にグラナダに生まれ、1617年9月25日にリスボンで没した。多くの大学で講義し、「俊秀博士」と呼ばれた。オッカム派の唯名論が台頭してスコラ学が崩れた後に、トマス・アクィナスの学説を中心にスコラ学を総合的に体系化し、中世と近代の学の橋渡しをした人物とされる。第二スコラ学の起点とされ、ルネサンスからバロックへの移行を決定づけたとも評される。ライプニッツやグロティウス、プーフェンドルフ、ショーペンハウアー、ハイデガーなど、多様な立場の思想家に着想を与えた。

軍人の伝統をもつ貴族の家に生まれ、アルバ公爵家とも縁続きだったという。1561年から1564年にかけてサラマンカ大学で法学を学んだが、学業をやめて、1540年に創立されたイエズス会への入会を願い、1564年6月16日に16歳で受け入れられた。ただし健康と知力に疑いがもたれたため、司祭になるか平修道士になるかは上長の判断に委ねる「無差別」の身分としての入会だった。メディナ・デル・カンポで修練を始め、数か月後にはサラマンカで哲学を学ぶよう勧められて、そこで最も優れた学生の一人となり、1566年から1570年には神学を学んだ。修道服をまとった1571年から、生涯は教育に捧げられた。アビラとセゴビア(1575年)で教え、その後バリャドリッド(1576年〜80年)、ローマ(1580年〜85年)、アルカラ(1585年〜93年)、サラマンカ(1593年〜97年)、コインブラ(1597年〜1615年)と移った。

ローマでは枢機卿ベラルミーノと親しく、教皇グレゴリウス13世も最初の講義を聴いたという。アルカラでは、1590年に最初の著作『受肉論』を出版した際、検閲官との間で困難に遭った。コインブラ大学に着くと神学の首席講座に任じられ、同じ年に、存在論を詳しく論じた大著『形而上学討論集』が刊行された。のちに教皇の求めで、『カトリック信仰の擁護』を1613年に著した。1612年には法学の大著『法律についての、そして立法者たる神についての論究』を出している。1615年には教職を退いてコインブラからリスボンへ移り、2年後に亡くなって、遺骸はサン・ロケ教会の受胎告知の祭壇の礼拝堂に納められた。

哲学の分野では、デカルトが『省察』第4答弁でスアレスの『形而上学討論集』に言及し、バークリーもその類比論に触れている。ライプニッツやクリスティアン・ヴォルフ、カントにも影響を与えたとされる。法学の分野では、人民主権論、社会契約論、自然法論、国際法の基礎を築き、グロティウスに多大な影響を与えた。主権の概念については、ボダンらの先行者を超えて分析し、権力は神に由来し、政治共同体全体に与えられると説いた。また、永久法、自然法、万民法、人定法、神の実定法を区別した。市民社会は人間にとって自然なもので、その起源は創造主である神にあると考えた。すべての法は立法者を前提とし、立法者は権威を前提とするというのが、その議論の出発点だとされる。『法律についての論究』は、政治的な主権や人民主権、自然法、法の拘束力、万民法、奴隷制、世俗の権力、政治的義務、忠誠の誓いなどを扱う。

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