HISTORICAL PERSON · 1617年没

リマのローザ

ペルー生まれのカトリックの聖人で、アメリカ大陸初の聖人。ペルーやラテンアメリカの守護聖人であり、肖像は1995年からペルーの200ヌエボ・ソル紙幣に使われている。

生涯
1617年没
死亡地
ペルー共和国(リマ郡 / リマ)
出生地
ペルー共和国(リマ)
出典
世界地図
ペルー共和国(リマ郡)

伝記

リマのローザは、1586年にペルーの首都リマで生まれ、1617年8月24日に31歳で亡くなったカトリック教会の聖人である。本名はイサベル・フローレス・デ・オリバといい、アメリカ大陸で生まれた人としては初めて聖人と認められた。ペルーやラテン・アメリカの守護聖人とされ、母国ペルーでは今も非常に崇敬され、1995年からは200ヌエボ・ソル紙幣に肖像が用いられている。

父ガスパルはスペイン軍の兵士、母マリアはインカとスペインの血を引いていたとされ、十二人きょうだいの四番目に生まれた。生後3か月のとき、女中が彼女の顔がバラに変わるのを見たと語り、それ以来、母はローザと呼ぶようになったという。生家は当初裕福だったとも伝えられるが、のちには経済的な問題を抱えたため、彼女は一日中菜園で働き、市内のさまざまな家のために刺繍を縫って家計を助けた。自分で育てた花や繊細なレースを市場で売ったともいう。当時のペルーはスペインの植民地で貧富の差が激しく、リマに多く暮らすインディオは貧しい生活を送っていた。ローザはそうした人々を助けたいと真剣に考え、行き倒れたインディオの老女を家に引き取り、父の許しを得て家の一室を開放し、貧しい病人の世話もした。その生涯は、リマの貧しい人々、とりわけ子供たちを助けることに捧げられたと伝えられる。

幼い頃から、シエナのカタリナを手本にして、週に3度の断食など、秘密の苦行を続けた。「バラのように美しい」と言われた少女で、家族や友人の反対を押し切って髪を切り落とし、顔を醜くするためにコショウとアルカリ液で傷つけたという。12歳ごろには家から少し離れた場所に小屋を作り、縫い物や祈りにあてた。苦行はその後も種類と過酷さを増し、鉄の鋲を打った冠をかぶり、腰に鉄の鎖を巻いたと伝えられる。聖人伝は、責めさいなむような苦しみの心と精神の寂しさが、しばしば彼女をさらなる難行苦行に駆り立てたと強調している。

年頃になると両親は結婚を望んだが、少女のころから心に決めていたとおり、神に身を捧げて貞節を守ることを選んだ。リマのサント・ドミンゴ教会で、修道院の中にこもるよりも世間に留まって人々の間で神に仕えなさいという声を聞いたとされ、1602年、16歳のときに持参金なしでドミニコ会の在俗修道女となった。病弱な彼女を心配した母は親戚の家に移るよう勧め、ローザは「私は別に病気ではありません。神さまはあと2年ばかり生命を貸してくださるでしょう」と答えて移った。そこでも司祭の服や祭壇布を縫いながら、在俗修道女として人々に尊敬された。その2年後の1617年8月24日、聖バルトロマイの祝日に世を去った。

葬儀にはリマ中の公の人々が出席し、大司教は聖堂内で賛辞を述べた。1667年にクレメンス9世により列福され、1671年にはクレメンス10世により、アメリカ大陸で最初の聖人として列聖された。友人らがリマのサント・ドミンゴ修道院の中に彼女の礼拝堂を建て、カトリック教会は彼女の死によって多くの奇跡が起きたと認定している。新世界に見られるサンタ・ローザという地名は、この聖人にちなんでいる。教皇ベネディクト16世は、この聖人に特別な献身を捧げた。サント・ドミンゴ教会・修道院のある地区は、1988年に世界遺産に登録された。

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