HISTORICAL PERSON · 2005年没

ピーター・ドラッカー

オーストリア・ウィーン生まれの経営学者。「現代経営学」「マネジメント」の発明者とされる。未来学者と呼ばれることもあったが、自らは「社会生態学者」を名乗った。

生涯
2005年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / クレアモント)
出生地
オーストリア共和国(ウィーン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは、1909年11月19日にオーストリアのウィーンで、裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれた経営学者である。父アドルフはウィーン大学の教授、母はカロリーネ・ボンディで、法学者ハンス・ケルゼンは母方の叔母の夫にあたる。本人の著書によれば、父はフリーメイソンの幹部だったという。1917年には、両親の紹介で心理学者ジークムント・フロイトに会っている。大学入試のために書いた論文がオーストリアの経済誌の目に留まり、編集会議に招かれて、副編集長だった経済人類学者カール・ポランニーと知り合い、長い交友を結んだ。

1929年、ドイツのフランクフルトの新聞の記者となり、1931年にフランクフルト大学で法学博士号を取得した。このころナチ党のヒトラーやゲッベルスから、たびたびインタビューを許された。1933年、自ら発表した論文がユダヤ人を嫌うナチ党の怒りを買うと確信して退職し、ウィーンを経てロンドンに移り、投資銀行に勤めながらケインズの講義を直接受けた。1937年にドイツ系ユダヤ人のドリス・シュミットと結婚し、1939年にアメリカへ移住して、処女作『経済人の終わり』を出版した。1942年にバーモント州のベニントン大学の教授となり、1943年にアメリカ国籍を取得した。1950年から1971年までニューヨーク大学で教え、1971年からは2003年までカリフォルニア州のクレアモント大学院大学の教授を務めた。

ナチスの勃興に直面して19世紀的なヨーロッパ社会の原理が崩れるのを目撃した彼は、アメリカで、20世紀の新しい社会原理として登場した巨大企業を目にした。その社会的使命を解明しようと、アメリカの大企業に協力を呼びかけたところ、ゼネラルモーターズが声をかけ、経営方針と経営組織を社外の立場から研究するよう依頼した。報酬を得る一方、自身の研究も許され、そこから生まれたのが、1946年に出版された『企業とは何か』である。「分権化」など多くの経営概念を考案し、「民営化」や「知識労働者」は彼の造語で、のちに世界中に広まった。非営利組織の経営にも大きな力を注ぎ、1990年に『非営利組織の経営』を著した。『マネジメント』では、成果をあげる責任あるマネジメントこそが全体主義に代わるものだと述べた。自らは「社会生態学者」を名乗り、人間のつくった環境に関心を持つと語った。本人によれば、基本的な関心は「人を幸福にすること」にあった。

日本には1959年に初めて訪れ、その後もたびたび来日した。日本の古美術の収集家でもあり、室町水墨画や禅画、南画が中心の「山荘コレクション」をつくった。日本では、1956年に野田一夫が『現代の経営』を翻訳して紹介したことで知られるようになり、ダイヤモンド社の刊行分だけで累計400万部余りが売れたという。岩崎夏海の小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』も、日本でのブームに一役買った。一方でウォール・ストリート・ジャーナルは、講演で事実に厳密でない話があったと報じ、本人は、逸話を使うのは論点を明確にするためで、歴史を書くためではないと弁明している。1966年には勲三等瑞宝章を受け、2002年にはアメリカ政府から大統領自由勲章を授与された。2005年11月11日、クレアモントの自宅で老衰のため亡くなった。

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