伝記
ミハイル・アレクサンドロヴィチ・ウリヤーノフは、1927年11月20日に、現在のロシア・オムスク州にあるベルガマク村で生まれたソ連およびロシアの俳優である。第二次世界大戦後のソ連の演劇界と映画界を担った代表的な俳優の一人とされる。祖父は金を採掘するアルダンで働き、そこで片足を失ったとみられ、のちにベルガマクで事務員をしていた。祖父母は、ボリシェヴィキによって沼地へ追放されて生涯を終えている。父アレクサンドル・アンドレーエヴィチは小さな大工の組合の長、集団農場の委員長で、後にタラの市長になった人物とも伝えられ、母エリザヴェータ・ミハイロヴナは専業主婦だった。妹マルガリータがいた。
3歳のときに家族は近くの村に移り、さらにタラの町に移った。ウリヤーノフは幼少期と少年期をタラで過ごした。父が共産党内で地位のある人物だったため、幼いころから恵まれた環境で育ち、本人も共産党員となった。モスクワの演劇学校の試験には一度失敗したが、1944年に俳優を目指してオムスクへ移った。母は、じゃがいもを入れた粗末な袋を持った息子を見送ったという。オムスクの劇場の附属スタジオで2年間学び、名女優リーナ・サンボルスカヤを、到達できない頂のように仰ぎ見た。小柄でがっしりした頭の自分は受け入れられないだろうと思っていたが、ゴーゴリの『死せる魂』の一節を読むと、合格が許されたという。
1946年にモスクワのヴァフタンゴフ劇場附属シチューキン演劇学校に入り、演技を学んだ。1950年に卒業するとヴァフタンゴフ劇場に参加し、1987年からは芸術監督として演出も務めて、2007年に亡くなるまで同劇場の一員だった。劇場は彼にとって「第二の家」で、離れては自分を想像できないほどだったという。舞台ではスターリン、アントニウス、カエサル、ナポレオン、ピラト、レーニンなど、歴史上の多くの人物を演じた。1956年から映画にも出演し、出演作は50本以上にのぼる。批評家は、高い悲壮感から奇矯さまで、どんな色にも染まる俳優だと評した。『ヨーロッパの解放』など約20本の戦争映画で演じたジューコフ元帥は、最も記憶に残る役とされる。1969年の『カラマーゾフの兄弟』では、ドミートリーを演じ、監督にも加わった。同年7月にはこの映画のキャンペーンのため来日している。
1969年にソ連人民芸術家の称号を得て、1982年にはヴェネツィア国際映画祭の特別賞を受けた。ソ連共産党中央委員会のメンバーで、ソ連演劇労働組合の議長をキリール・ラヴロフと共同で務めた。1986年には社会主義労働英雄の称号も受けている。自らについて、また職業について5冊の本を書いた。2007年3月26日の夜、モスクワの病院で、癌の末期に生じた重い腎臓の障害のために亡くなり、3月29日にノヴォデヴィチ墓地に軍の礼をもって埋葬された。北極圏のタンカーとタラの劇場に彼の名がつけられ、2012年には像も建てられた。
同じ年に亡くなった人物
- ヴォルフガング・パノフスキー (2007年没)
- ラルフ・アルファー (2007年没)
- ドン・ホー (2007年没)
- メルヴィル・シェイヴルソン (2007年没)
- エゴン・ボンディ (2007年没)
同じ地域に関係する人物
- ガリナ・プロズメンシコワ (2015年没)
- グリゴリー・ペトロフスキー (政治家) (1958年没)
- サムイル・フェインベルク (1962年没)
- ヴェリコ・カディイェヴィッチ (2014年没)
- アレクサンデル・ネスメヤノフ (1980年没)