伝記
アンナ・ニコル・スミスは、1967年11月28日、テキサス州ヒューストンで、ヴィッキー・リン・ホーガンとして生まれたアメリカ合衆国のモデル、女優、テレビタレントである。父ドナルドが妻と娘を置いて家を出たため、2歳の誕生日を迎える前の1969年に両親は離婚し、母ヴァージー・テイバースと母方のおばエレインに育てられた。母はその後も再婚を重ね、母が最初に再婚した相手の姓から、一時はニッキ・ハートと名乗っていた。ヒューストンの小学校と中学校を卒業し、9年生のとき、おばのケイ・ビールと暮らすためにテキサス州メヘイアへ移った。しかしメヘイアの高校では1年生で落第し、2年生で退学したため、義務教育は8年生までしか修了していない。
レストランでウェイトレスとして働いていた折、調理師だった16歳のビリー・ウェイン・スミスと知り合い、1985年4月に結婚した。翌年に長男ダニエル・ウェイン・スミスを産んだが、1987年に別れ、1歳のダニエルを連れてヒューストンに戻った。ウォルマートで働き、次に別の店でウェイトレスをしたあと、ナイトクラブでストリッパーとして働きはじめた。雑誌『プレイボーイ』の創刊者ヒュー・ヘフナーに見出されて、1992年3月に同誌の表紙を飾り、「マリリン・モンローの再来」とうたわれた。翌年にはプレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、ゲス・ジーンズなどの広告にも登場して、パリのデザイナーのショーにも出た。選ばれたプレイメイトの中で、身長・体重ともに最大だった。
1991年10月、ヒューストンのナイトクラブで、客として訪れたテキサスの石油大富豪J・ハワード・マーシャルと出会った。1994年6月27日に、半世紀以上も年上の彼と結婚し、世間を騒がせた。彼女が資産を狙ったという憶測が広がったが、本人は否定した。翌1995年8月4日にマーシャルが死去し、彼女がウエディングドレスで葬儀に参列したことも話題となった。莫大な遺産をめぐっては、義理の息子E・ピアース・マーシャルを相手取って裁判を起こし、法廷闘争は長期にわたって、最高裁判所の判決にまで達した。ピアースは2006年6月に病死し、結局、遺産はピアースの遺族が相続する形になった。
2006年9月7日、バハマの首都ナッソーで長女ダニーリンを出産した。同月10日には、ナッソーに母と妹を見舞っていた息子のダニエルが、20歳で急死した。死因は抗うつ薬などの服用が原因と推定されている。2007年2月8日、フロリダ州ハリウッドのホテルの部屋で倒れているのが発見され、病院で死亡が確認された。39歳だった。死因は処方薬の過剰摂取とされる。ダニーリンの父親とされる男性は何人も名乗り出たが、同年4月に、バハマの法廷はDNA鑑定に基づき、芸能ジャーナリストのラリー・バークヘッドが実の父親だと発表した。2009年には、カリフォルニア州の司法当局が、生前に薬を過剰に投与していたとして、弁護士と医師2人を共謀の容疑で訴追した。
同じ年に亡くなった人物
- モーリス・パポン (2007年没)
- マーラ・パワーズ (2007年没)
- オスカー・ピーターソン (2007年没)
- アントニオ・プエルタ (2007年没)
- ヨランダ・キング (2007年没)
同じ地域に関係する人物
- Georg Karl Tanzler (1952年没)
- トンマーゾ・ブシェッタ (2000年没)
- オジー・デイヴィス (2005年没)
- ダスティ・ローデス (2015年没)
- エレオノラ・シアーズ (1968年没)