伝記
ダニエル・カールトン・ガジュセックは、1923年9月9日にニューヨーク州ヨンカーズで生まれ、2008年12月12日に亡くなったアメリカ合衆国の医師、医学研究者である。初めて報告されたプリオン病であるクールー病の研究で、1976年のノーベル生理学・医学賞をバルチ・ブランバーグとともに受賞した。後年は児童性的虐待の罪で有罪判決を受け、その名声を大きく損なった。日本語ではガイジュセクとも表記される。
父カロルはスロバキアからの移民で、母オッティリアはハンガリーのデブレツェンの出身だった。1943年にロチェスター大学を卒業し、物理学、生物学、化学、数学を学んだ。1946年にハーバード大学で医学博士号を取得し、その後コロンビア大学、カリフォルニア工科大学、ハーバード大学でポスドクの研究を行った。1951年に徴兵され、ウイルス学者として陸軍の研究に従事し、1954年に除隊した。1952年から1953年にかけてテヘランのパスツール研究所に、1954年にはメルボルンの医学研究所に客員研究員として勤め、そこで、のちのノーベル賞につながる研究と出会った。1958年にアメリカ国立衛生研究所のウイルス学・神経学部門の長となり、1970年からは1996年まで、同研究所の中枢神経系研究室の室長を務めた。1974年に全米科学アカデミーの会員に選ばれ、1988年にはトーマス・ハックスリー記念賞を受けた。
クールー病は、パプアニューギニアの風土病で、現地の言葉で「震える」を意味する。ニューギニア島南部の高地に住むフォレ族の間で、1950年代から60年代にまん延していた。この地区を担当する医師が、病気のことをガジュセックに最初に知らせた。ガジュセックはこの神経病について初めて医学的な記述を行い、1957年から調べはじめた。患者に笑うような表情が現れることがあるため、「笑い病」としても知られるが、これは通俗的な報道がつけた呼び名だった。フォレ族とともに暮らし、言葉や文化を学びつつ、犠牲者の解剖などを行った。通常の感染源も栄養不足も毒物も見つからなかったが、チンパンジーの脳に病気にかかった人の脳組織を接種する実験で、1965年に病気が伝染することが確認された。この病気は、スクレイピーという羊やヤギの病気に似ていることも示され、ガジュセックは、新しい感染性の因子が原因と考えて「非通常型ウイルス」と呼んだ。のちにスタンリー・プルシナーらの研究により、プリオンと呼ばれるタンパク質が原因だと判明した。
死者の脳を食べるフォレ族の儀式と病気の関係は、ガジュセックが結びつけたとされることが多いが、実際には、人類学者のシャーリー・リンデンバウムとロバート・グラッセの夫妻が最初に仮説を提唱した。ガジュセックは当初、その人類学の証拠に冷淡だった。1968年に、夫妻と疫学者が論文を発表し、食人が病気の広がりの原因であることを確実に示した。食人の習慣がなくなると、クールー病は一世代のうちにほとんどなくなった。
南太平洋での研究の際、より良い教育を受けさせる目的で、子どもたちをアメリカに連れ帰り、一緒に暮らした。その男児の一人が成年後、性的虐待で彼を訴えた。1996年4月に児童性的虐待の罪で起訴され、研究室のノートの記述や、被害者の証言、本人の自白に基づき、1997年に有罪となった。司法取引により罪を認め、懲役19か月の実刑判決を受け、1998年に釈放された。その後、5年間の保護観察の期間をヨーロッパで過ごすことが認められた。2008年12月12日、訪問先のノルウェーのトロムソで死去した。
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