HISTORICAL PERSON · 2008年没

ランサナ・コンテ

ギニアの政治家、大統領。1984年に無血クーデターで権力を握り、1993年のギニア初の複数政党制選挙でも当選して長期政権を維持した。

生涯
2008年没
死亡地
ギニア共和国(コナクリ)
出生地
ギニア共和国(ドゥブレカ)
出典
世界地図
ギニア共和国(コナクリ)

伝記

ランサナ・コンテは、1934年11月30日にギニアの首都コナクリ近郊のドゥブレカ県で生まれた軍人、政治家で、1984年から2008年に亡くなるまでギニアの大統領を務めた。スス人で、正確な生年は分かっておらず、1934年と推定されている。地元のコーラン学校とドゥブレカの小学校で学び、のちにコートジボワールのビンジェルヴィルとセネガルのサン=ルイの軍の予備校に進んだ。

ギニアがフランスの統治下にあった1955年にフランス軍に入隊し、1957年には独立戦争中のアルジェリアに送られた。軍務を終えて帰国したのち、1958年10月2日にギニアがフランスから独立すると、新しい国軍に軍曹として加わった。1962年にコナクリの士官学校で学び、1963年に少尉、2年後に中尉に昇進した。1970年11月、ポルトガル軍とギニアの亡命者がポルトガル領ギニア(現ギニアビサウ)から侵攻し、政権の転覆を図ったとみられる事件が起こると、その功績で1971年に大尉に昇進した。1973年には西部のボケ地区の作戦地域の司令官となり、1975年に陸軍の副参謀長となった。1977年にはギニアビサウとの国境紛争の交渉で代表団長を務め、1980年に国民議会の議員に選ばれた。

初代大統領セク・トゥーレは独立以来、長期独裁政権を敷いていたが、1984年3月26日に死去した。最高指導者のカリスマが失われて動揺が広がるなか、4月3日、与党が新しい指導者を選ぶ数時間前に、コンテは無血クーデターで政府を倒した。トゥーレ政権の人権侵害を非難し、政治犯250人を釈放して、約20万人の亡命者の帰国を促した。憲法を停止して国民議会を解散し、政治活動を禁じ、自ら率いる軍の委員会を設けて、4月5日に大統領と宣言された。1985年7月にはクーデター未遂を阻止し、これを機に、ライバルの軍人らを排除した。1990年には陸軍大将に昇進した。

通貨の切り下げや財政支出の削減などの経済改革は国際通貨基金に認められ、西側諸国との関係の再編で外国投資も呼び込んだ。1990年代の初めには文民による複数政党制への移行に着手し、1990年12月の国民投票で新憲法が承認され、1992年に政党が合法化された。1993年12月19日、ギニア初の複数政党制による大統領選挙で、新たに結成した統一進歩党から立候補し、51.7%の票を得て、決選投票を免れた。野党は不正を訴えた。民主主義への公約にもかかわらず、体制は権威主義的なままだった。1996年2月には給与をめぐる軍の反乱が発展したクーデター未遂があり、民間人数十人が亡くなった。1998年、2003年の大統領選挙にも当選したが、選挙結果や政治手法には批判が続いた。2005年にはコナクリ市内で車列への発砲事件があり、2006年1月のストライキでは労働組合と和解したが、治安が悪化して翌月に戒厳令を敷いた。2008年12月22日、国営テレビが死去を発表し、2日後、ムサ・ダディス・カマラが軍事クーデターを実行して暫定大統領の就任を宣言した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物