伝記
アイザック・リー・ヘイズ・ジュニアは、1942年8月20日にアメリカ合衆国テネシー州コビントンで生まれたミュージシャン、俳優である。アイザック・シニアとユーラの二番目の子で、母を早くに亡くし、父が家を離れたこともあって、母方の祖父母のもとで育った。小作農の家で、少年期には近隣の農場で働いたという。5歳のころから地元の教会で歌い始め、独学でピアノ、ハモンド・オルガン、フルート、サックスを覚えた。のちにメンフィスへ移り、高校は中退したが、マナサス高校の元教師たちの励ましを受けて21歳で卒業証書を得た。複数の大学から音楽の奨学金の申し出があったものの、家族を養うためにすべて断り、昼は食肉工場で働き、夜はメンフィスやミシシッピ州北部のクラブで演奏する日々を送ったとされる。
1960年代初めにはメンフィスのスタックス・レコードでスタジオ・ミュージシャンとして録音に加わるようになり、オーティス・レディングやウィルソン・ピケットらとも共演した。作曲家デイヴィッド・ポーターと組んでは、サム&デイヴのために「ユー・ドント・ノウ・ライク・アイ・ノウ」「ソウル・マン」「ホールド・オン、アイム・カミン」などを書き、ブッカー・T&ザ・MG'sやカーラ・トーマスらのプロデュースにも関わって、スタックスの音作りを支えた。1968年にデビュー作を出したが商業的には成功しなかった。当時のスタックスは、看板歌手のレディングを航空機事故で失い、旧譜の権利もアトランティックに渡るという苦境にあり、副社長のアル・ベルが多数の新作の完成を求める中で発表した『ホット・バタード・ソウル』(1969年)が、最も成功した一枚となった。
1971年には映画『黒いジャガー』の音楽を担当した。サウンドトラックは全米1位を記録し、主題歌「黒いジャガーのテーマ」も全米1位となってアカデミー歌曲賞を受けた。グラミー賞やゴールデングローブ賞の作曲賞も得ており、同じ年のアルバム『ブラック・モーゼス』もグラミー賞を受けた。1972年8月20日にはロサンゼルスのコロシアムでのコンサート「ワッツタックス」でトリを務めた。しかし1975年にスタックスが倒産し、レーベルを離れた。1977年にディオンヌ・ワーウィックと共演盤を出し、1979年にはディスコ曲「ドント・レット・ゴー」をヒットさせている。
俳優としても活動し、1974年の『タフ・ガイズ』『トラック・ターナー』に出演し、1981年の『ニューヨーク1997』ではマンハッタン島の帝王デュークを演じた。1997年からはアニメ『サウスパーク』でシェフの声を担当したが、自身が信奉するサイエントロジーが番組内で風刺の的にされたことを受け、2005年末に降板した。後年、人の信仰や習慣に敬意を払わない番組には協力できないと語っている。1992年にはガーナのアダ地方の名誉王に迎えられ、2002年にロックの殿堂入りを、2005年にはポーターとともにソングライターの殿堂入りを果たした。
2008年8月10日、メンフィスの自宅でランニングマシンを使って運動している最中に倒れ、帰宅した家族に発見されて病院に運ばれたが、死亡が確認された。死因は脳梗塞と発表された。
同じ年に亡くなった人物
- エルフリーデ・カウン (2008年没)
- メート・パルロフ (2008年没)
- フランティシェク・チャペック (2008年没)
- マリー・スミス・ジョーンズ (2008年没)
- ヤン・マチュルスキ (2008年没)
同じ地域に関係する人物
- ロイ・エイカフ (1992年没)
- アレン・テイト (1979年没)
- パッツィー・クライン (1963年没)
- ヒュー・ローソン・ホワイト (1840年没)
- ショーン・レイン (2003年没)