伝記
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、本名をマヘーシュ・プラサード・ヴァルマーといい、超越瞑想(トランセンデンタル・メディテーション、TM)とその普及を行う諸団体の創立者である。1918年1月12日の生まれとされるが、前半生は無名で、生年も確かなものではない。2008年2月5日に没した。ニューエイジ・ムーブメントの一翼を担った人物で、超越瞑想は、所定のマントラを目を閉じて心の中で唱え、徐々に神経活動を抑えて意識を深みへ導くマントラ瞑想法の一種である。
前半生はポール・マンソンの「マハリシ伝」による推測を含むが、インドのマディヤ・プラデーシュ州ジャバルプル近くのチチリーという村で、公務員の父のもとに生まれたとされる。イラーハーバード大学で物理と数学を学び、1940年にスワミ・ブラフマナンダ・サラスワティに出会った。サラスワティはヒンドゥー教シャンカラ派の僧院の長で、グル・デヴの尊称で呼ばれた人物である。弟子入りを望んだマヘーシュに、サラスワティは大学の課程を終えることと両親の了承を得ることを求め、マヘーシュは物理学の学位を取って卒業し、1941年に正式に弟子となった。以後、師が1953年に亡くなるまで秘書を務め、ヴェーダや祈り、瞑想を学んだ。マヘーシュのおじによると、サラスワティは死に際して、教えた技術には家庭人のためのものが含まれており、それを出家者以外にも広めるよう指示したという。
師の死後はアシュラムを離れ、バラモンの身分ではなかったため自分の村では主導権をとれず、1955年までヒマラヤ山脈のウッタルカーシーの洞くつで隠遁生活を送った。ここで人間は苦しむ必要がなく、すべては至福であるという思いを抱き、これが以後の思想を貫く基本となった。1955年に北部から南部へ巡礼に出て法話を行い、「マハリシ」と呼ばれるようになった。当初は組織を作る気はなかったが、人々の求めに応じて精神復活運動を起こし、1957年に南インドのチェンナイで開いたセミナーには、3日で1万人を超える人々が集まったという。1958年にはマドラスに運動の本部を設立した。やがて世界への普及を考え、当時最も進歩した国と見なしたアメリカと西ドイツを対象に選んだ。
アメリカでは最初の国際会議を開いて超越瞑想の指導者を育てる3年計画を立て、世界人口の十分の一が実践すれば各地に平和と調和が生まれると考えた。1959年にはカリフォルニアで精神復活運動の法人を宗教的団体として設立し、1960年代にはヨーロッパ諸国で講演を重ね、1961年にはロンドンで第1回世界大会が開かれた。1968年にはジョージ・ハリスンの求めでビートルズがインドを訪れ、ヒマラヤ山麓リシケーシュのアシュラムに滞在した。これを機にマヘーシュは広く知られるようになったといわれる。ビートルズはハリスンを除き、最終的にマヘーシュに幻滅したとされる。
教えの特色は、ヒンドゥー教の瞑想者のような厳しい修行や財産の放棄を求めず、1日2回の短い瞑想を勧めたこと、物質世界や自分の宗教を捨てよとも言わなかったことで、この二点が欧米の実践者を惹きつけたとされる。一方で、超越瞑想を「科学の仮面で変装した宗教的カルト」と批判する学者もいる。のちにはヴェーダに科学の知見を取り入れた「ヴェーダ科学」を体系化し、アーユルヴェーダなどを含めて世界に広めた。
同じ年に亡くなった人物
- アルバート・ホフマン (化学者) (2008年没)
- イマード・ムグニーヤ (2008年没)
- エンニオ・デ・コンチーニ (2008年没)
- ライコ・ミティッチ (2008年没)
- フレデリック・ザイツ (2008年没)
同じ地域に関係する人物
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- ダルタニャン (1673年没)
- エルンスト・カシミール (ナッサウ=ディーツ伯) (1632年没)
- ウジェーヌ・デュボワ (1940年没)
- アーノルド・ヤンセン (1909年没)