伝記
ヒース・アンドリュー・レジャーは、1979年4月4日に西オーストラリア州パースで生まれたオーストラリア出身の俳優である。名前のヒースは、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の主人公ヒースクリフに由来するという。父キムはレーサーで鉱山エンジニア、母サリー(旧姓レンショー)はフランス語教師であった。一家はスコットランド人とアイルランド人の血を引くパースの著名な家系で、先祖は鋳物工場を経営し、パースからカルグーリーへ至るパイプラインの建設に際して原材料を供給したとされる。11歳のときに両親が離婚し、姉のケイトのほか、異母妹と異父妹がいた。学生時代はホッケーの選手として活躍し、演劇部の部長も務め、飛び級で16歳のときに高校を卒業した。
10歳で地元の劇団に所属し、オーストラリア国内の舞台やテレビに出演した。1996年のテレビドラマでレギュラーの役をつかんだが、番組はあまり人気がなく、役柄がゲイだったため街で嫌がらせを受けることもあったという。それでも演技は業界関係者の目に留まり、本格的な出発点となった。1997年の映画『ブラックロック』で映画デビューし、同年に全米放送のテレビシリーズにも出て注目を集めた。
1999年の『恋のからさわぎ』でハリウッドに進出したが、成功のあとにはアイドル的な役柄の依頼が殺到した。本人はこの路線を断り、エージェントにシリアスで重みのある役を演じたいと伝えた。実績の乏しい若手にそうした依頼がすぐに来るはずもなく、その後およそ1年は、本人の言葉では「ヌードルと水」だけの貧しい暮らしだったという。2000年には『パトリオット』でメル・ギブソンの息子役を演じ、2001年の『チョコレート』ではビリー・ボブ・ソーントンの息子役を演じた。出演は冒頭の40分足らずながら強い存在感を示し、同じ年に初主演した『ロック・ユー』は全米興行収入で初登場1位となった。以後も『サハラに舞う羽根』『ケリー・ザ・ギャング』『ブラザーズ・グリム』など幅広い作品に出たが、興行や批評は振るわなかった。
転機は2005年公開の『ブロークバック・マウンテン』である。せりふの少ない主人公イニス・デルマーを、20歳から40歳近くまでの20年にわたって演じ、わずかなメイクと、歯を食いしばるような話し方、声の調子の変化でそれを表現した。抑制を保ちつつ時に激情をあらわにする演技は、マーロン・ブランドやショーン・ペンに比べられる絶賛を受け、26歳でアカデミー主演男優賞にノミネートされた。共演したミシェル・ウィリアムズとは婚約し、2005年10月28日に長女マティルダ・ローズが生まれたが、2007年9月に婚約は解消された。その後は『キャンディ』などに出演し、『アイム・ノット・ゼア』が生前に公開された最後の映画となった。
2008年1月22日、ニューヨークのマンハッタンの自宅アパートで遺体が発見された。前年の11月ごろから不眠に悩み、睡眠薬の服用を自ら語っていた。インフルエンザにもかかっており、薬の併用による急性薬物中毒が原因の事故死とされた。遺作となった『ダークナイト』では宿敵ジョーカーを演じ、ホテルにひとりで1か月こもって声や笑い方を作り上げたといわれる。この演技によりアカデミー助演男優賞を受賞し、故人の受賞はピーター・フィンチ以来32年ぶり2例目であった。授賞式には両親と姉が出席し、父キムは「息子は映画の世界を愛していました」と述べた。撮影途中だった『Dr.パルナサスの鏡』は、ジョニー・デップら3人の俳優が代役を務めて完成した。
同じ年に亡くなった人物
- キャロル・チョムスキー (2008年没)
- ジミー・ジュフリー (2008年没)
- モシェ・レヴィ (2008年没)
- 沈殿霞 (2008年没)
- 福岡正信 (2008年没)
同じ地域に関係する人物
- ニコラス・ロッソリモ (1975年没)
- ハーバート・ロス (2001年没)
- トマス・コール (1848年没)
- クラフチェンコ (1966年没)
- アン・リヴィア (1990年没)